昭和61年4月20日撮影
昭和61年4月20日は、南箕輪村北殿にある松林寺を訪れている。午後の半日を利用して、同寺裏山にある四国八十八ヶ所霊場の石仏の銘文を調べている。松林寺は享禄年間(1528~1532)の創立と伝えられ、当初は性輪寺といったらしい。現在は箕輪町木下の嶺頭院の末寺となっている。裏山の霊場は「お四国さま」と呼ばれ、江戸時代末に北殿の有賀嘉吉の発願によって完成したものという。有賀嘉吉は八十八ケ寺の霊験にあやかるようにと、各札所の土を香箱におさめて持ち帰り、石仏の台座に納めたという。完成したのは嘉永元年(1848)だったという。
一番の隣に立てられている標柱には「従是 松林寺境内 新四国霊場」とあり、背面に「弘化四丁未三月二十八日 諏訪西堀邨錦屋林蔵」とある。平均的に台石高は26センチ、幅18センチであり、蓮座の上に安置された石像は舟形光背のものがほとんどで、一番、三十番、六十番、七十番といったところは、円形光背に刻まれる。ほとんどが座像で、88体中24体が立像、特徴としてはも光背に円光が刻まれているものが多い。88体のうち、40数対は、南箕輪村大泉の原此右衛門の作と伝えられる。
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