すっかり新型コロナウイルスによって行動に制限がかかってしまった。年度初めということもあって迫られた物件がないため、今はそれほど必要としていないから良かったものの、とはいえ時折必要となるのが公共施設、とりわけ図書館である。図書館のことは日記でも繰り返し綴ってきたが、わたしにとって図書館は必須の公共施設だ。その図書館が利用できないとなると、データとして乏しいものとなってしまうことは歴然だ。そういう意味では、手元に多くの本を置いておくのも、こうしたケースでは必要だ。
とりわけ新型コロナウイルスの感染者が頻繁に公表される地域では緊張感が漂う。人口の多い地域ほど感染者の発生源になりやすいから、市域の図書館は軒並み利用停止状態に陥った。ここ数日でのことだ。「どこが開館しているだろう」、そう思い上伊那郡内の図書館を検索すると、伊那市や駒ヶ根市はもちろん、その周辺地域の図書館も休館状態だ。ホームページで明確に「休館」と判断するのにも、あちこちページを開いてみないとはっきりしない、ようは解りづらい図書館もあると気づく。苦労した挙句に、結局「休館」と解り気落ちすることも。今日現在の開館状況では、中川村の図書館ぐらいである、「開いている」のは。その中川村図書館も15日から「休館」と、「村内公共施設等の利用制限について」のページで、ようやく解ったこと。そこまでたどり着くのに手間がかかった。同様なことは飯島町図書館にもあって、図書館カレンダーでは「開館」しているように見えたが、「新型コロナウイルスによる町公共施設の利用制限等について(令和2年4月7日現在)」のページを開いて、ようやく休館していることが判明した。ようは図書館の案内ページでは休館していることが解らないのだ。今のところ「休館」の文字が見られないのは、隣の松川町図書館ぐらい。蔵書によっては図書館を渡り歩くような人たちにとって、「開いている」ところを探して出歩くのも当然のこととなる。ほとんど「休館」状態だから、今後は探す人もいなくなるだろうが、開いているパチンコ屋を探したり、店を探したり、そんな行動が認められるのも人間の行動原理からいけば当たり前の発想だろう。
たまたま火葬場に向かう霊柩車の車列に出会った。後続の近親者が乗っていると思われるマイクロバスに乗っている人たちは、全員マスクをしている姿が見えた。その後ろに続いた自家用車も火葬場に向かう車だとすぐに解ったのは、喪服を着用していたからだ。もちろんその車に乗車されている方たちも、皆マスクをされていた。この時勢だから、葬儀屋からマスク着用を促されているに違いない。葬儀屋にしても、感染者を出してしまうと大変なことになるから、厳重に注意されているのだろう。不要不急の定義には、個人差があるのは言うまでもなく、あくまでも個人の判断だ。その判断が、身近に漂い始めているのは間違いない。世間では「買いだめ」しようとする人たちを制限するように、「必要ない」という広報もされるが、近ごろマスクやそれらしい商品に限らず、「在庫不足による…」という表示を店の中で見かけるようになった。長期化することによって、マジに商品不足の世界が間近にやってきているのでは、そういう不安も確実に増幅しつつある。
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