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オカリヤ

2016-01-28 23:49:39 | 民俗学

オカリヤと獅子舞(旧牧丘町/平成元年)

 

オカリヤとオヤマ(旧牧丘町/平成元年)

 

 「下生坂竹ノ本の道祖神」において「子供達が門松や注連縄、麦わらで小屋を造る」話をした。道祖神の上に小屋掛けをするという行為のことであるが、同じようなことは山梨県でも行われる。帝京大学山梨文化財研究所が「関東・中部各都県の道祖神祭-道祖神祭祀とその周辺」というシンポジウムを開催し、研究報告を1990年に発行している。その中で堀内真氏は、「道祖神のコヤ一覧」を示している。それによると、コヤ、オコヤなどという呼称のほかに、オチョウヤという呼称も多く、意外に少ないのがオカリヤであった。かつて訪れた旧牧丘町周辺ではオカリヤと呼ばれているものが多く、また印象に強く残ったこともあって、オカリヤの呼称がもっと一般的なものというイメージをしていた。一覧を見る限りオカリヤという呼称は、高根町箕輪の2例と牧丘町牧平の1例のみである。これら小屋掛けの形態はさまざまで、生坂村周辺の小屋掛けよりも大掛かりなものである。中沢厚氏はオカリヤのことについて「山梨県では男子の性器を「カリ」とか「マラ」というので、それからきた「オカリヤ」の名称だと村ではいう。だが、「道祖神の仮の小屋」という意味のほうが元ではあるまいかと思う」と述べている(『山梨県の道祖神』有峰書店 昭和48年 181頁)。なぜ村ではそう言うかというと、オカリヤには巨大な男根が付けられるからだ。こうした小屋は小正月の最後に焼かれる。

 中沢氏はこうも言っている。「山梨県の道祖神の多くは辻やムラ境の道端に石造の像が固定的に祀られていますが、小正月の道祖神祭りの期間のみに祀る形があります。例えば東八代郡芦川村上芦川では、普段はムラの本家筋の家の屋敷神の石祠の中に祀られている小丸石を祭礼前に神輿に乗せて道祖神場に移し、祭り終了後にまた元に戻すことが行われます。都留市田野倉や大月市鳥沢でも、同様に草むらに放置されている丸石を持ち出して道祖神場に祀ります」(『帝京大学山梨文化財研究所研究報告第2集』1990年 7頁)と。ようはお祭りのときにだけ道祖神として祀られ、ふだんは違うモノとして捉えられている。小屋掛けではないが、これも仮の宮ということになるのだろう。「野沢温泉の道祖神祭りを訪れて①」で野沢温泉村では石造道祖神がないものの道祖神祭りが行われる地域があると触れた。祭りの時は自家で造った木像道祖神を神様として祀るものの、普段は形としての道祖神がないというケースもある。ふだん形としての道祖神が存在していたとしても、あらためて仮の宮を造ってそこに祭神を祀る。道祖神にはそんな性格があったのではないだろうか。したがって祭りの時にだけ道祖神は祀られる。そう考えると野沢温泉の社殿はやはり仮宮ということになるだろうか。そして脇に初灯篭が奉納されるわけだが、これはオカリヤの脇に別に建てられる山梨県における御神木と同じである。山梨県ではオヤマとかヤマ、あるいはヤナギと呼んでいるが、ヤナギは形状からくる呼称。このヤナギは野沢温泉の初灯篭にもしっかりと付いている。浜野安則氏はサンクローとは別に柱を建てていたものの、しだいに火祭りの中に柱立てが取り込まれていったのではないかと言う(「道祖神の柱立てと火祭りとの関係-安曇野・松本平・上伊那の事例からー」『信濃』63-1/信濃史学会)。とすると、サンクロー(火祭り)の櫓は本来仮宮だったのではないだろうか。


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