祭りを担う組織
そもそもこの祭りを執行する組織は「野沢組」と言われる地縁組織である。前述したように「野沢温泉」を冠し販売されている商品に「野沢組惣代」という刻印がされるほど、大きな存在とも言える。野沢組の事務所もあって、そこには惣代さんが常駐するというのだから、役場のようなもの。総代は選挙で決められるというから村長のような存在なのだろう。明治から続く組織で、ムラの共有財産である山林や水源のほか温泉なども管理する。この組織について「野沢温泉の道祖神祭り」(長野デザインセンター 2002年)に次のように記されている。「正副惣代3名と、約20名の協議委員で構成されている。委員会には、正副惣代経験者で構成され、惣代を助けて運営全般に当たる総務委員会、惣代の文書蔵に保存されている古文書の管理や研究を行なう文書管理委員会、温泉郷の管理運営と共同浴場の管理を支援する温泉管理委員会、社寺に関すること、灯篭祭りや道祖神祭り祭りなどの祭り運営執行を担当する式典祭事委員会、野沢組が所有する山林原野、道路を担当する林野道路委員会、堰、用水の管理を担当する堰委員会、野沢組各区の区長と連携して共同作業等を行なう労務委員会の7つの委員会があり、各委員がそれぞれ任務を遂行する」と。かつて野沢温泉村の仕事にかかわった際、用水路に関わる部分で野沢組の役員の方々と接したことがあったが、あらためてなるほどと思った。道祖神祭りに関して前掲書に執行した組織の変遷が記述されている。それによると「以前、当時の火祭りの作業及び行事の担当は5組の若者組であり、年長の世話組が全般の指揮を任されており、各組の大月番(幹事)に指示し作業を行い、村人の協力も得て3日間で社殿を完成させた」という。ところが戦後この若者組は昭和28年に解体。継承者がいなくなってしまったことを当時の野沢組惣代が心配して、現在のサンヤンコウ(三夜講)で担う方法で昭和30年に復活したという。
このサンヤンコウは男の厄年である42歳を頭として、41歳、40歳という3年代によって編成され、同じ仲間で3年間道祖神祭りを執行する。1年ごと構成メンバーが入れ替わるわけではない。したがって1年目は42・41・40歳のメンバーは2年目には43・42・41歳へ、最後の年は44・43・42歳となる。ここで総入れ替えだから元に戻って頭が年長の42歳となる。42歳にあたる者が幹事役を勤めるというから、3年目に幹事役を勤めるときが最も慣れているということになる。まさに今年はその3年目の年だったという。ここに25歳の男の厄年が毎年入れ替わって加わる。地元ではサンヤン講のそれぞれの年代のことを「組」というような呼び方をするが、これはかつての若者組の名残りなのかもしれない。そっくり入れ替わるため、今年は来年から担う長男(最年長の者、今年から見れば41歳の者)が見習いに来るといい、祭りが終わればその人たちにサンヤンコウは引き継がれる。サンヤンコウの中には年代ごとに総括、副総括がおり、祭りに関して「組」(同級生)を取り仕切る。道祖神委員長と副委員長は道祖神祭りのためにだけ奉仕する役員で、6名(長と副×3組)選ばれ、次のサンヤンコウの後見人として道祖神祭りの指導をするという。その役割分担は道祖神委員長が社殿を、副委員長は御神木を担当するという。
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