阿南町富草大島
一石三十三観音についてはこれまでにも何度か記してきた。そもそもそれらは下伊那南部のものがほとんどで、この地域に一石三十三観音が多く建てられてきたことがわかる。そして井戸寛氏により『日本の石仏』(日本石仏協会)118号と130号に掲載された一石三十三観音のデータについては、「一石三十三観音」に記した。また、一石多尊仏を扱われた「ようこそ一石多尊仏廻りへ」のページについても以前ここに紹介した。その中の一覧にないものを見つけた。天竜川にある泰阜ダムの右岸側に大島というところがあり、その山際に墓地があり、近くにこの三十三観音は祀られていた。下から横6列5段に観音様が彫られ、その上に3体の観音が彫られて合計三十三体である。その上部に「寛保三癸亥天 十月十八日」と彫られている。寛保3年というと1743年であり、近くでは雲雀沢に享保10年(1724)のものがある。300年近く前のものなのであるが、銘文が読み取れるのはありがたい。
青面金剛
同じ場所に丸彫りの珍しい像が建っていた。腕がいくつもあることから、濃青面金剛かもしれない、とその時思ったのだが、あらためて家に帰って『阿南町誌』で調べると、確かに庚申さんとして紹介されていた。ほとんどの人はこり像を見てお地蔵さんだと思うだろう。
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