Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ある光景から見えるもの

2022-06-04 23:39:47 | ひとから学ぶ

 3年前に「再び、ポスターを掲げる」を記した。3年ごとに同じような思いを抱きながら、わたしたちは選挙運動をする。今日も政党の集まりにやってきた顔見知りの方がこう言葉を発した。「おれもようやく選挙運動にかかわれる身になった」と。彼は長年ある役場の管理職だった。

 しばらく前に友人と飲んだ際にこんな話を交わした。「仕事上自民党員になっているが、自民党は党員名簿を利用した動員はしない」と。同業者であったり、あるいは職域であったり、あるいは義理もあるのだろう、政党の集まりに動員されるのはどこの政党も同じだろう。しかし、自民党以外の政党にくらべると締め付けは極めて緩い。かつて〇〇党の地元議員の選挙を手伝った際に、政党からとても強い締め付けと動員力を垣間見たのは、驚きの世界だった。もしかしたらこのことはどこかに書いているのかもしれない。この話をしていて友人は言った。「だから自由民主党なんだろう」と。昨年の総裁選時の選挙人に該当する党員数は、長野県では16,341人だった。人口比でいけば少なめな県なのだろう。それぞれの県におけるいろいろな事情もあるのだろうが、多いとも、少ないとも言えない微妙な数だ。その一人である自分であるが、かつてこう感じていた。「職域系の党員だから、党員名簿にあったとしても、動員のようなことはないのだ」と。しかし、あらためて政党の集まりに顔を出してみて思うのは、そこに集まる人々で、義理で顔を出した人はともかくとして、そうでない人たちの多くは、ほぼ関連付けられる人たちだ、と。とするとそこに集まる人々に仲間内意識が見て取れる。もちろんそれは自民党に限られたことではない。そして、そこに集まる与党公明党の人々を見るにつけ、かつて〇〇党の議員選挙の手伝いをした際と同じような雰囲気がある。やはり自民党は締め付けの緩い党だと、そうした場面で感じ取れる。ようは多様な党員がいて、自由があると。これを感じ取れるのは、やはりそこに身を置いてみてわかること。もちろんわたしは根っからの自民党支持者ではないが、この光景から受ける印象は、けして間違いではないと思う。


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