Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

坂部の冬祭り(昭和61年の記憶⑬)

2020-01-04 23:32:52 | つぶやき

下栗の霜月祭り(昭和61年の記憶⑫)より

 

昭和61年1月5日撮影

 

 4日午前9時に帰宅すると床に入った。この年の4日は、今年(令和2年)と同じ土曜日だった。だいぶ疲れが溜まっていたとは思うが、意地のように翌5日の午前1時過ぎに起床し、坂部へ向かった。坂部に着いたのは午前3時ころ。ここから夜があけるまで冬祭りを見た。

 坂部に着いたころ、ちょうど面形迎えがあった。まだまだ写真にそれほど意識を置いていなかったので、この日撮影した写真はそう多くなかった。東方浅間神社の舞・湯立、諏訪神社の舞・湯立と続き、いよいよ「たいきり面」が登場するが、いわゆる松明とまつかりを打ち合う場面の写真は1枚も撮れていない。獅子面、鬼神面・天公鬼・青公鬼面と続き、水王様が登場すると、湯たぶさを持って釜をまわり、最後に湯切りをする。続く火王様は、釜を3周し、顔の鼻先で「火」の字を書く。禰宜と問答をする「翁」。日月・女郎面や海道下り、あるいは「魚釣り」といったところはフラッシュの電池切れか、自然光の手ブレ写真ばかりだった。

 午前9時半に坂部をあとにしたが、この日は午後気のあった中学時代の仲間との同級会があって、中学時代の担任をされていた先生とも久しぶりに会っている。こうした連日の祭り見学がたたったのか、翌週の火曜日には風邪をひいて仕事を休んでいる。

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