Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

わたしたちにできること、とは

2012-10-12 23:59:48 | ひとから学ぶ

 「私は今回の震災、原発事故を遠くから見守ることしかできませんでした」とは、農民作家山下惣一さんの『生活と自治』(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)9月号「生きる場」を構築という特集対談の冒頭の言葉だ。同じことを思った人はこの日本に大勢いることだろう。しかしこの発言の真意にはふたつあるだろう。どれほど人が苦しんでいてもその地から遠くにいて、身の回りのことがクリアーできていない者には当地に足を運んで実践に移すことはできないものだった。もうひとつは声を掛けるにも掛けられないほどの惨事だったということ。ちまたには「がんばろう日本」とか「絆」という言葉が氾濫し、東北への思いを表現する単語がわたしたちは「仲間だ」とばかりに煽るわけだが、その単語に違和感を覚えたのは事実だ。でもきっと実践している人たちの勇気と行動には、比較にもならないほど小さな思いだ。

 さて対談で山下さんは「原発事故の影響は先が見えませんが、震災の被害だけだったら立ち上がれるんじゃないかと思っていました。でも、今回、実際に宮城と岩手の一部を歩いてみて「壊滅的被害」というのを目の当たりにしました。リアス式海岸の奥にある集落の一つ一つが全部被災して、話題にもならないまま静かに消えているという感じでした」と感想を漏らす。対談のもう一人、フリーライターの結城登美雄さんは「この1年でずいぶん片づきましたが、がれきを取り除いたあとには、おてんとさんに照らし出されてキラキラ光るガラスくずが目につきました。小さなクギも。あれが農地にも入っているんですから、塩害だけの問題じゃありません。復興という前に、復旧の難しさがあるんです」と返す。おそらくとしか言えないが、この震災、復興とはいうものの神戸のように簡単にはゆかないだろう。何より東北だ。東北に限らず、人口流出というきっかけを常に孕んでいるような地域では、こうした災害が地域に何をもたらすかは容易に解かる。それを前段の単語で飾り立てるまでもなく、結論は見出されているのだろうが、忘れられた事実はしだいに影へと押しやられていく。

 そんな流れのせいだろうか、「国の東日本大震災復興会議は「創造的復興をやる」と言っています。単なる復旧で昔の地域を再現するのは、過疎と高齢者のまちをつくるだけで意味がない。として出てきた言葉です。それを具体化する特区構想の考え方は、カネと力のある人を外から入れるもので、これまで農家や漁家に向けていた資本と労力を、より効率の良い新規参入者らに移していくということです」と山下さんは“復興”という名の動きを懸念する。結城さんは「リンゴ農家が海外に販路を開拓したらもうかったという特殊な事例を取って、これこそが今後の農業モデルだという人もいますが、すごい補助金つけて実績をつくっていることは知られていません」、山下さんは「もうかる農業といいますが、実は農業はもうからないからこそ、米国を含めて各国が直接所得保障の形で農業を守っています」と、特別なものばかり取り上げて未来予想図を描くことに危惧を表す。地域と農業という視点が消えてしまった政策によって、地域の人々のこころが奪われてしまわないことを願うばかりだが、近ごろの復興予算の使われ方についての報道をみるにつけ、予算はあっても使えないという事実がその奥にしまわれているようだ。


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