今やA5用紙が文書の定番となっているが、昭和時代末まではまだまだB5用紙がわたしたちの世界では当たり前のように使われていた。そういえばいつも報告させてもらっている長野県民俗の会の通信というものは今もB5版である。200号を超えているだけに容易に今風のA版にするというわけにもいかない。近ごろB版で印刷しているものも少なくなっていて、この通信は稀な存在と言える。とはいえ書籍クラスになるとA5版は大きすぎるという印象は今でもある。そのためかB5版で発行されるものも少なくはない。会社の用紙がBからAへの転換があった際に、とくに感じたのが大型化することによるコストアップだった。とくにメール時代にまだ入る前だったこともあって、郵送料への影響はけっこう気を使ったもの。きっとたった1枚程度のことなのだがねその1枚によって郵送料が上がるということも常にあった。わざわざその1枚を省くために文字を詰めるなんていうこともしたもの。近年では郵便に関わることも少なくなって、気を使わなくなった点である。
先ごろ古い資料を見たくて県立図書館に複写依頼をした。信濃郷土科学研究会というところが昭和23年に発行した「研究報告第1集」というものなのだが、地理学系の文献目録に掲載されていて探し出したもの。今はインターネットがあるからこうした資料の検索もあっという間にできることはありがたいこと。今の大学生なんかは論文を書くにも楽になったはず。こうした資料閲覧や複写を依頼するにも、やはりそれら設備が整ったところに住んでいれば自ずとメリットは高い。遠隔地から依頼するものだから、当然郵送してもらうということになる。先ごろ事業仕分けでコピー代が1枚40円で高いと指摘されていた団体があったが、今時はほとんど1枚10円。たいした額にはならない。ところが郵送するのと、その支払いをするのが大変なこと。たった4枚コピーを依頼したわけであるが、郵送料が90円。ここではたと疑問が湧いたのは「今って封書は90円だったっけ」というもの。そういえば4枚にプラス送付文書が2枚入っていたから90円なんだと気がつく。送付文書は送付しますという公文と、送金依頼書という公文の2通。こんなことは公的な世界では当たり前だと指摘されるだろうが、そこに書かれた文字の数など数えられるくらい少ない。2枚を1枚に集約できないのか、などと思うほどのものなのだが、あくまでも印象であって、実際はそんなことさえ作成側は思わないことだろう(合計5枚なら80円で済むはず)。この130円を支払うのに、郵送代は切手で、コピー代は現金、または為替などでということ。もっとも定額の手数料で送付できる方法を探るが、定額小為替+切手という方法が経済的。とはいえ、定額小為替の最低料金は50円。手数料100円である。わざわざ確認はしなかったが、100円の定額小為替と残りを切手で郵送したが、しめて310円となる。長野市民なら40円で済むところを約8倍の経費がかかったということになる。実は仕事上の請求だったが、若干趣味的部分も含まれている(そもそも資料請求までして揃えなくてはならないものか、という議論に達するもの。わたしが会社のトップにいたら必ずその意図と理由を明確にすることだろう)ため、最初から自費で払うつもりだった。最近図書館に行ってコピーしている部分もすべて自費で行っている。自らの学習の一貫ということになるだろうか。仕事上で興味と共有できるものだったら、自費でもなんら構わない。とはいえ、それほどと思っていた資料請求がそこその金額になってくると負担感を感じるが、まだまだこのくらいなら高いとも思わないのがわたしの感覚。
先ごろ箕輪町郷土博物館の発行した「みのわの年中行事」という冊子を例会に集まった人たちみんなが購入した。その値段が300円という安さだったこともその理由。値段のせいかすでに在庫全てを処理できそうだと博物館の方は言われていたが、その発行部数は300部だという。人口2万5千人という町でたった300印刷しても「はけない」という強い印象を受けた。この世界では常識ということらしいが、わたしのような部外の者にはとても意外に感じること。そもそも収支のとれないものを出すという行為があるとすれば、逆にもっと住民に還元してもらうというのがわたしの感覚。ここに住民の郷土への意識の無さと、またそこで繰り広げられる実態というものを感じた。先ごろ伊那市教育委員会が発行している書籍の一覧を教育委員会でいただいた。2冊ほど必要なものを購入したが、そこに並んでいる書名の半分くらいをわたしは所有している。住民よりはるかにこの地のことに詳しいと、それほど興味を持っているわけでもないが、そんなことを感じた一瞬だった。資料請求して310円も支払って高いと思っていないわたしの感覚がずれているのかもしれないが・・・。
そういえば閲覧できないからコピーをお願いするしかないのだが、送られてきた資料がどれほどの価値があるかというのは、宝くじを買うようなものかもしれない。
先ごろ古い資料を見たくて県立図書館に複写依頼をした。信濃郷土科学研究会というところが昭和23年に発行した「研究報告第1集」というものなのだが、地理学系の文献目録に掲載されていて探し出したもの。今はインターネットがあるからこうした資料の検索もあっという間にできることはありがたいこと。今の大学生なんかは論文を書くにも楽になったはず。こうした資料閲覧や複写を依頼するにも、やはりそれら設備が整ったところに住んでいれば自ずとメリットは高い。遠隔地から依頼するものだから、当然郵送してもらうということになる。先ごろ事業仕分けでコピー代が1枚40円で高いと指摘されていた団体があったが、今時はほとんど1枚10円。たいした額にはならない。ところが郵送するのと、その支払いをするのが大変なこと。たった4枚コピーを依頼したわけであるが、郵送料が90円。ここではたと疑問が湧いたのは「今って封書は90円だったっけ」というもの。そういえば4枚にプラス送付文書が2枚入っていたから90円なんだと気がつく。送付文書は送付しますという公文と、送金依頼書という公文の2通。こんなことは公的な世界では当たり前だと指摘されるだろうが、そこに書かれた文字の数など数えられるくらい少ない。2枚を1枚に集約できないのか、などと思うほどのものなのだが、あくまでも印象であって、実際はそんなことさえ作成側は思わないことだろう(合計5枚なら80円で済むはず)。この130円を支払うのに、郵送代は切手で、コピー代は現金、または為替などでということ。もっとも定額の手数料で送付できる方法を探るが、定額小為替+切手という方法が経済的。とはいえ、定額小為替の最低料金は50円。手数料100円である。わざわざ確認はしなかったが、100円の定額小為替と残りを切手で郵送したが、しめて310円となる。長野市民なら40円で済むところを約8倍の経費がかかったということになる。実は仕事上の請求だったが、若干趣味的部分も含まれている(そもそも資料請求までして揃えなくてはならないものか、という議論に達するもの。わたしが会社のトップにいたら必ずその意図と理由を明確にすることだろう)ため、最初から自費で払うつもりだった。最近図書館に行ってコピーしている部分もすべて自費で行っている。自らの学習の一貫ということになるだろうか。仕事上で興味と共有できるものだったら、自費でもなんら構わない。とはいえ、それほどと思っていた資料請求がそこその金額になってくると負担感を感じるが、まだまだこのくらいなら高いとも思わないのがわたしの感覚。
先ごろ箕輪町郷土博物館の発行した「みのわの年中行事」という冊子を例会に集まった人たちみんなが購入した。その値段が300円という安さだったこともその理由。値段のせいかすでに在庫全てを処理できそうだと博物館の方は言われていたが、その発行部数は300部だという。人口2万5千人という町でたった300印刷しても「はけない」という強い印象を受けた。この世界では常識ということらしいが、わたしのような部外の者にはとても意外に感じること。そもそも収支のとれないものを出すという行為があるとすれば、逆にもっと住民に還元してもらうというのがわたしの感覚。ここに住民の郷土への意識の無さと、またそこで繰り広げられる実態というものを感じた。先ごろ伊那市教育委員会が発行している書籍の一覧を教育委員会でいただいた。2冊ほど必要なものを購入したが、そこに並んでいる書名の半分くらいをわたしは所有している。住民よりはるかにこの地のことに詳しいと、それほど興味を持っているわけでもないが、そんなことを感じた一瞬だった。資料請求して310円も支払って高いと思っていないわたしの感覚がずれているのかもしれないが・・・。
そういえば閲覧できないからコピーをお願いするしかないのだが、送られてきた資料がどれほどの価値があるかというのは、宝くじを買うようなものかもしれない。
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