「描かれた図から見えるもの21」において小布施町の空間意識について触れたわけだが、これまで山を上に配置し、川を下に配置する構図をいくつも扱ってきたが、山と川との位置関係から、水が左から右に流れる場合と、右から左に流れる場合があることは承知の通り。小布施町の場合は、千曲川が下に配置されたから川は右から左に流れる。ようは上流は右側、下流は左側となる。実はわたしのイメージする通常の空間も、川は右から左に向かって流れる。ようは中央アルプスを頂点にして、天竜川は北から南へ流れるから、自ずと構図はそういうことになる。長野県の場合、真ん中あたりを頂点にして、日本海側に向かって川が流れる地域と、太平洋に向かって川が流れる地域に、ほぼ二分される。頂点とするいわゆる象徴的なものを何にするかによって、自ずと川の位置が決まってくるわけだが、ふだんの流れの方向は、知らず知らず自分のイメージとして強く記憶されることになる。
ところがわたしは仕事がら図面を書くことが多い。日記でも農業用水路のことを盛んに扱っているように、水路にかかわる図面が日常的に仕事にはつきまとう。農業土木の世界では一般的に、用水路なら左側を上流、右側を下流に配置するのが常識的。そのいっぽう排水路においてはその逆で、左側を下流に、そして右側を上流に構図をとる。その目的から類似している河川も排水路と同じように配置されるのがふつうだ。ようは川は左が下流、右が上流というイメージ。これはその筋の人たちが常識としているものであって、一般の人々が同じように捉えているというわけではない。前述のように、もし山を頂点として川を配置したとすれば、大河のどちらに暮らしているかによって、自ずと川の流れは決まり、こと「川」の扱いは人々によって正反対のイメージを作り上げるわけだ。もちろんこれは「山」を頂点とした場合であるが、何を象徴的なものに捉えようとも、山はイメージしなくても、川をイメージする人は多いだろう。これは必ずしも山が近くになく、そして山が霞んで見えないようなところに暮らしている人たちの位置情報の根幹にもなる。とはいえ、川の存在も今やはかないものになりつつあるのは言うまでもないが。
川に限らずもっと小さい存在の水路については、これからも死ぬまで意識することになるが、とりわけ仕事でこうした常識的なイメージを経験値として記憶してしまっている者にとって、水が左に流れるのか、それとも右に流れるのか、はとても気にすることだし、厄介な情報にも成り得るのだ。「逆さ川」などと言われ、大河とは反対方向に流れる用水路があると、禍いがあるとその「逆さ」を禍いの理由にする例は多い。ということは、人々にとって川の流れに順応するのが当然だという意識があたりまえにあることは言うまでもない。
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