自分の日記ながらいつ記したか。検索できなかった。かつてトイレの紙について記している。「落とし紙」の意味について、コトバンクでは「便所で使う紙。ちり紙。」と記している。なぜそう呼ぶのかについてまで記していないが、もしかしたら、便所に落としていたからそう言ったのかどうか。
記憶では、わたしの子どものころの「便所」(トイレとしないのは、当時は便所が通常の呼称だった)には新聞紙が現在で言えばティッシュペーパーを広げたくらいか、もう少し大きめな大きさで切って置いてあったものだ。大便をして、尻を拭くとしたら、その新聞紙を使ったもので、もちろん新聞紙だから、ごわごわしていて、今のようなトイレットペーパーのような感触でなかったことは言うまでもない。そのうちに新聞紙ではなく、ちり紙という、それこそ現在でいうティッシュペーパーを広げたものと同じくらいの大きさの紙を買ってきて利用したものだが、これもまた、肌触りとしては今のトイレットペーパーとは違った。今もってそのようなちり紙が売られているようだが、現在はだいぶソフト化しているようだ。
かつては汲み取り式だったから(もちろんいまもって汲み取り式の家もあるだろうが)紙を落とせば、その紙の容量が多かったとも言える。とりわけこのことは以前記したことだが、母は、外便所の片隅に箱を置いて、使った紙をそこに捨てていたものだ。もちろん子どもたちに積極的にそこに紙を捨てろとは言わなかったが、母にとっては汲み取り料を少しでも減らそうという気持ちがあったに違いないし、火を燃やす時の火付け紙に使っていたふしもある。大昔というよりは、30年ほど前のことである。とりわけ外便所に置いていたのは、は母が多用していたせいかもしれない。けして中国や韓国のトイレ事情を知っていて真似たわけではない。
倉石美都氏は、『現在学研究』1号(現在学研究会 平成30年10月1日発行)において、「トイレ空間からみた韓国人の清潔観」を発表している。その中で韓国においては平昌オリンピック以前までは、トイレにトイレ内に備え付けのゴミ箱に捨てるように指示がされていたという。たとえば「便所に捨てると大惨事がおきます。トイレットペーパーはゴミ箱に、必ず、絶対、無条件で、捨ててください」という具合に。しかし、オリンピックを機会にこうした注意書きに変化が起き、現在は便器に流すようにという指示が普通になったようだ。今でこそ日本においても「トイレットペーパーのみ利用してください」という注意書きは見なくなったが、下水の普及段階にはよく目にした貼り紙である。現在はトイレで使う紙はトイレットペーパーというのが当たり前になっているだけに、流すのも当たり前ということになっている。ウィキペディアにおいても「下水道に流すか否か」という項が立てられていて、その中で「トイレットペーパーが水に溶けない紙だったり、排水設備や管路の詰まりや堆積物などに深く関係して、インフラストラクチャー上の都合と流通品の品質の如何で、国家・地域によって、差異が極めて大きい。」と記している。さらに「中華圏(中国本土〈香港と澳門を含む〉と台湾)では、水洗式便所にトイレットペーパーを流すのは非文明的・非常識な行為とされていて、それ以前の社会全体が貧しかった時代から使っていた新聞紙と同様、ごみ箱に捨てるのが社会良識となっている」としている。同じことが韓国でもあったというわけだ。
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