Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

七夕飾り系御柱

2016-01-21 23:22:21 | 民俗学

 野沢温泉の道祖神祭りを見学した翌日、帰路辰野町で建てられているデーモンジを、今年も回ってみた。昨年も「今年のデーモンジ」で触れたところだが、毎年ほぼ同じように建てられるデーモンジだが、これまで何度も触れてきた多屋小路のものは、見るたびに違う、そう思わせる作りだ。北大出でも最も家々が密集している多屋小路は、北大出神明社から下った三叉路にデーモンジが建てられる。昭和62年ころに建てられたものは「道祖神の柱立てを探る・前編」に写真を示した。そして昨年のものはこんな感じ。高く掲げられた飾り物は、すっかり地面に下っている。電柱はもちろん、電線が密集していることもあって、10メートルを超えるような柱は立てづらいということもあるだろうが、すっかりデーモンジの趣はなくなってしまった。そして今年はこんな感じなのだ。灯篭の高さから推定すると、昨年よりは1メートル余上がっただろうか。とはいえ、灯篭のすぐ上にオンベがつけられ、竹の飾りの中に埋もれてしまっている。かつてははっきりとオンベが頂きに掲げられ、まさに神様の寄り代的存在感が強かった。柳の長さはかつてとは比べ物にならないほど短い。デーモンジの中でも代表的な存在だったのに、今は見る影もない。いっぽう現在では最も立派なデーモンジになっているのは鞍掛のもの。とはいえ、ここのものには柳がつかない。竹入弘元氏の『伊那谷の石仏』(伊那毎日新聞社 1976)において鞍掛のデーモンジについて触れられており、かつては柳が付けられたというものの、当時すでに柳が消えていたことが解る。ささやかな柳が付けられるものとして三ッ谷で建てられるデーモンジがある。だいぶ様変わりした多屋小路のものよりさらに柳は小ぶりで本数も少ない。

 わたしがこれまで認識していた辰野町でのデーモンジは多屋小路、鞍掛、三ッ谷のほか、宮下、上垣外といった北大出5箇所と、羽場上手村と下村の2箇所である。宮下のものは竹に燈籠が結わえ付けられた簡素なもので、いつもながらその竹が細いため、毎年お辞儀するように竹がしなっている光景を見せる。何もなくてもお辞儀しているような様だから、昨年のように重たい雪でも降ったら支柱である竹が折れてしまう。支えの柱でも添えれば見栄えも良いだろうに、と思うがこのところのデーモンジは毎年こんな光景だ。何といっても最も省略されたように見えるものが上垣外のもの。竹竿を建て、頂きにオンベを結わえ、その下に日本国旗を掲げる。もともとこんな形だったのかどうかは聞き取っていないが、国旗をのぞけばこの形、川上村のオンベに似ている。とはいえ、川上村のものはオンベそのものがもっと立派で形が異なるが、同系といえば言えなくもない。『長谷村の民俗』(長谷村文化財専門委員会 1973年)に村内各地のオンベと言われる柱建ての図が掲載されている。非持山のオンベは頂きに語弊のみをつけたシンプルなもので、この上垣外のものに近い。省略されたのではなく、もともとこの形だったと言えないこともない。

 羽場で建てられる2件は、ほぼ形は同じ。竹に飾り物を付けたもので、七夕飾りとそっくりだ。その中に扇子がつけられるのが七夕と大きく違うところ。この扇子は厄年の人が付けるもので、「厄年 ○年男」(○は十二支)などと書き込まれる。同じデーモンジとはいえ、七夕飾りそっくりなデーモンジは、その名の起こりのひとつとも言われる「大文字」とはまったく無縁な印象である。いずれにしても、竹に巾着や扇子を付けるという七夕飾り風の飾り物を掲げるスタイルは上垣外をのぞけば辰野町のデーモンジに共通している。そしてこの七夕飾り風の飾り物は、山梨県下で行われているオヤマなどと呼ばれるものにも見られるのである。

多屋小路

 

鞍掛

 

三ッ谷

 

宮下

 

上垣外

 

羽場中村

 

 


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