何においても繁期と閑期というものはある。もちろん傍目から見てずっと閑期じゃないのか、と思われるような世界もあるが、当人はそんなことちっとも思っていない。「お忙しいところ申し訳ありませんが…」と発せられても内心「ぜんぜん申し訳なくない」と思うことだってあるはず。でも他人のことなど分からないから、こんなセリフはどんなときにも適合する。
この時期は例年私たちにとっては閑期だ。かつて飯山に暮らしていたころは、冬季は雪に埋もれてしまうため、外業はまったくできなかった。雪が来る前に仕事を終え、雪のある時は内業にしぼった。といっても内業がそんなにあるはずもなく、冬季間は開店休業のようなものだった。雪のない地域に手伝いに行く、なんていうことも当たり前にあったが、今はそのようなことはないし、そんな話が出ることもない。それだけ仕事の比重が内業化しているということなんだろう。どんな世界にも、かつてとは異なった景色が当たり前のように見えるようになった。かつてのそんな覚えのせいか、この季節になれば、そう思って内業を残しておくと、実はこの季節が閑期ではなく、繁期になってしまう。そんなことを何年も繰り返してきた。忙しいときほど、仕事でなくても何でも手を出して実行しないと、閑期になどと回避していると結果的に何もできないで、本来の繁期を迎えてしまう。繰り返すほどに閑期にしようと思っていた作業はもちろん、したいこともできずに通り過ぎてしまう。どんなに忙しくても、そして必ずやらなくてはならない、ということでなくても、手を出さないと実行できないということの戒めである。
なるほど閑期に何をしていたか、思い出してもなかなか浮かんでこない。暇なときにしていたことは記憶から消されている。なぜ閑期なのに何もできないのか、そう思うことを繰り返すのだが、その思いだけが記憶に残る。人は忙しい時は「これでもか」というほどに手を出して処理し、閑期らしき季節には諦めて休むのが一番なんだろう。でも「あれも、これも」と思いながらまるで停止したように冬の冷たさに身動き出来なくなってしまうのが、この時期なのである。
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