Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

令和時代の新年に

2020-01-06 23:35:10 | つぶやき

 いよいよ仕事が始まったが、持ち帰り仕事は正月からやっていたので、仕事始めなどという言葉はわたしにはない。あらためて新年だからというわけではないが、この後のことについて少し主張しておきたい。

 1ヶ月ほど前の仕事でお世話になっている方たちとの懇親会でのこと。ふだんはあまり顔を見せない方が、この時ばかりとわたしがお酌にまわっていると声を掛けてこられた。いろいろ話しているうちに、思うところをわたしに合意を求めてこられた。その主旨はこうだ。周囲の肩書きのある、いわゆる成功者とも思われる人たちが、平気で子どもたちを都会に進学させ、あと取りを育てなかったことへの不満なのだ。故に農村から若者が消え、追随するようにふつうの家の子どもたちも都会へ出て行った。今更ながらの現象で、既にどうにもならなくなっている農村の現状ではある。しかし、このことは合意できる内容であることは、この日記でも触れてきたのであらためて詳細は記さない。何といっても、これまで地域を引っ張ってこられた、いわゆるオピニオンリーダーのような方たちは、それに該当するようなことを率先した。今回わたしに合意を求めて来られた方も、そのことを皮肉って口にされる。そしてわたしに言わせてもらえれば、そうしたリーダーだけではない、足並みを揃えるように高学歴に理想を求めた田舎者の考えがあった。いかに地域を継続させていくか、と考えれば、後継者がいなければそれは成立しない。どんなに頭の良い人たちでも、こんな簡単なことはわかるはず。にもかかわらずそうしなかったのは、そうした人たちは、地域は、地方は、衰退して、場合によっては消滅しても良い、という考えを持っていたからに相違ない。

 妻の実家のある集落は、とても暮らしにくい地域だ。いいや、都合良く地域で闊歩している一部の人達にとっては、暮らしやすい地域なのかもしれない。この地域では、一部の酒好きの人たちによって、集金常会で集めたお金を飲み干している。異論を口にする者がいると、周囲は闊歩している主導者に賛同して異論を口にした者を攻撃する。ようはハチブにするように。「言っても無駄」という雰囲気が生まれて、一部の者たちの行為がエスカレートしていく。もはや自治組織など無いに等しいほど。これでは例え次代を担う若者が定着したとしても、嫌になってしまうだろう。そもそも、よそから住み着く者は出てこない。

 わたしの暮らす地域からみれば、妻の実家のある地域は異常である。もちろんわたしの暮らす地域が理想的とは言えないが、自治会費のほとんどを飲み代にするような行為は間違ってもありえない。

 地域をまともな社会にしなければ、そして何が不要で何が必要なのか、さらにはものの言えるような社会にして、どんな人たちも暮らせる社会にしない限り、地域は継続できないだろう。加えてリーダーたちの地域への愛着である。地域社会に何が足りないかといえば、当たり前の課題を自ら実践する指導者ではないか。


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