Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

みんな思うところは同じ

2020-01-07 23:26:46 | ひとから学ぶ

 いつものように、後ろに車がついた。夜も少し車が少なくなる午後8時ごろになると、より一層後続に接近する車は多くなる。もちろんわたしの前にも車がいるし、その前にも車はいる。ようは、追い越さない限り、それ以上前には行けない。そしていつもの通り、わたしは前の車とは30メートル余りの車間はとっている。あまりに後ろが急かすので、いつもよりは前車と近いかもしれないが、ほかの車よりは車間をとっている。前の車が遅いというほどではないが、前の前の車との車間は時にはずいぶん開くことがあって、走っているうちに、前の前の車は見えなくなり、前車が先頭となる。そのころからだろうか、前車も減速してどちらかというとゆっくりな運転になったのは。けしてわたしが接近したわけではないが、わたしの後続の車の接近が気になったのだろうか。やはり後続に接近する車がつくと、減速する車は多い。

 より一層後続車の接近が気になるころから、わたしは「少し車間を空けろよ」とばかり、後続の車への車間を意図的に離そうと速度を前後させた。少しその意図をくんだのか、先ほどよりは接近しなくなったが、いっぽうで前車の速度も上がったり下がったりと、なんともいえない雰囲気が漂っていた。ところが全体が減速したせいなのか、さらに後続に車がつながるようになって、後続の後ろについた車が、後続の車に接近するようになった。これは「たまらん」と思ったのか、後続車とわたしの車間はそれまでとうって変わってずいぶん開くようになった。ようは後続の車も、わたしがしたように、前車との車間は二の次で、後続車への意図的な速度調整を仕掛けたというわけだ。何のことはない、人に接近していたのに、自分が同じように接近されると、先ほどまでしていた行為を忘れ、後ろに意識を移した、というわけだ。その思いを常に持っていただければ、前車に接近することで、前車の気分がどうあるかわかるはずなのに、まったくもって勝手な運転というわけだ。

 結局、しばらく後続車との車間はかなり開いていたが、後続車の後ろについていた車が横道に逸れていったおかげで、またわたしの後ろにやってきた。ただし、間もなく後続車も横道に逸れていったおかげで、わたしも落ち着いて走れるようになったわけだが、そのころには、わたしの前の車は、ずいぶんスピードアップして、遥か彼方にテールランプを確認できるくらいに。「なんだ、あの車も本当は、けっこスピード出すんだ」、そう思ったしだい。


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