先日の「小布施町中条の道祖神」からそう遠くない幹線道路沿いの四辻に変わった庚申塔が立っている。この幹線道路は広域農道の須高地区といい、須坂市から中野市まで続くいわゆる農道ではあるが、主要道路である。かつてこの四辻の中程にあったという庚申塔は、道路が整備されて現在地に移動したようだ。「変わった」とは石の形状のこと。正面からみると「庚申塔」とはっきり、そしてふつうに読むことができるが、少し横から見てみると、その文字はほぼ半分しか読み取れない。わざわざ角に文字は彫り込んである。したがって文字の半分半分が面を異にしているのである。一面に「庚申塔」と刻むには細すぎる石を利用しているせいでもあるが、これは意図的なものなのだろう。わざわざ角をセンターにして左右に振り分けて彫っている石仏というものをこれまで見たことがない。
そもそも石仏というものは安定感をもってわたしたちの前に現れるのがふつうだ。頭でっかちな石碑が不安定に見えるのは当然だし、地震でもくればひっくり返ってしまうだろう。正面から見てみても、不安定に感じるのは見ての通り。実は「二十三夜」塔なども含めて、須坂市にはこうした不安定感を与える石仏が多い。流行りだったのだろうか。
向かって左側面に「安政三年丙辰七月 中条村」とある。1856年の造立である。地面からてっぺんまで2メートルという細長い碑である。須坂市内には2メートルを超える「庚申塔」がいくつもある。
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