「今日も雨」で触れた年会に参加したわけだが、「地域活性化」という今ではありふれた言葉ながら、そこで悪戦苦闘している「地域」が多いことはご存知のとおり。いまだ国は経済成長させなければ国民にそっぽを向かれると思っている節もあって、従来型の政治にこだわっているわけだが、同じようなことが地域でも盛んに期待されている。とりわけ疲弊した地域をどうこの人口減少時代に継続させていくか、より一層日本の地方、地域は格差が生じるかもしれないという不安感の中で、この「地域活性化」という単語が踊っているわけだ。昨日も触れた山下裕作氏に限らず、このテーマを冠したシンポジウムに少なからず期待というか、何か得るものがあるかもしれないと考えていたところだが、現実的には近ごろのこうした催しに似て、議論の高まるものではない、いってみればこれが「学会なのか」と思わざるを得ないような内容であったことは残念としか言えないだろう。毎年年会に参加しているというわけではないため、年々の変化が見えているというわけではない。が、明らかに年会の参加者数が減っているという印象は、間違いではないと思う。今年は千葉県市川市という、いってみれば東京都内で開いたのと同等ながら、その印象はかつて松本という地方で開いた年会に比較しても参加者が少ないだろう。もちろん人口減少時代であるから学生も減っていて、多くの学会が持つ悩みかもしれないが、とりわけ民俗学の先々は、消滅へ向って進んでいるようだ。今回は松本年会時代以来という図書販売を民俗の会として行った。箱の大きさに合わせて会場に持ち込んだのだが、販売実績は極めて少ない。かつて岩田書院の岩田さんがその「裏だより」No.942に書かれたように、今の研究者は「本を買わない」というのは本当のようだ。そしてそれ以上に会場の光景から見えたのは、学生の参加者が少ないのでは、ということ。そしてそれはそのまま図書販売の会場の雰囲気を作る。学生らしき人がやってこない。昔からのなじみの顔であったり、高齢の学会員であったりと、これでは図書を持ち込んでも「真新しさがない」、そう自ら感じてしまう。そもそも大学から消えてしまえば、それを引っ張る人たちの影も薄れ、学問そのものも消滅せざるをえないだろう。
「民俗学は文化財行政を除き行政施策から離れすぎたのではないか」と言った山下氏は、地域活性化において民俗学は有効だと言いたいのだろうが、地域活性化に民俗学はどうかかわってきたのか、そしてそれぞれの未来にどう関われるのか、という質問に対して、記録してみんなで見れる、そしてみんなで話し合って「いいじゃないか」「おもしろいぞ」と思って行動が起こせればそれが「地域活性化」だと答えた。農業土木という異分野を引き出し、GISによるデータ化や共有化、閲覧化といったいってみれば違う世界の耳慣れない言葉と真新しい事例をもって地域活性化を描くのはちょっと違うんじゃないか、そう思うのはとりわけその筋の世界の現場にいるわたしの感想だ。きっとあの会場にわたしのような農業土木の「現場」の者がいるとは思ってもいなかっただろう。いわゆる補助金に手上げしてお金をもらう、それが地域活性化と言うのなら、その策が廃れた事例をどう説明するのだろう。そもそも地域活性化に「成功」したかに見えたものの、その後年数を重ねるほどにそれが負担になって逆戻りしてしまう例はたくさんある。とりわけ山下氏は発表の中で、天草の山奥に若い農業者がけっこういて「カッコいい機械いっぱい買って、ひとりで10町歩も田んぼ管理してるんですよ。まだまだできるよと言ってました」と表現し、限界集落とか言うけれどあれは「マッチポンプ」みたいなもんだと言う。ちょっと耳を疑う発言だ。誇張解説とでも言おうか。そもそもカッコいい機械いっぱい買って、なんて表現はわたしの周囲で聞こえたら顰蹙ものだし、カッコいい機械をいっぱい持って米10町歩で生計は成り立たない。少なくとも長野県ではありえない発言だ。
発表者がそれぞれの世界に浸って語って、結局結びつきもなければそこから課題も提議されない、そんなシンポジウムにがっかりしたのは言うまでもない。
何を根拠にそのようなことを言えるのでしょう?この一月前には農業土木学会でも企画セッション報告を行い、土木の方々の前でもきちんと変わることなく主張をさせていただいています。今次のシンポジウムも、新聞に紹介されてます。そういう方がいらっしゃることは想定済みです。自分がこそこそ陰口叩く卑怯者だからと言って、私を同じものとしないでください。大体あなたのおっしゃってること、実に陳腐な陰気臭い愚痴です。あちこちでよく聞きますよ。それを踏襲して何の意義があるのでしょう。たかだか1人40分のシンポジウムであなたが求めていることが展開されると思うこと自体がおかしいのではないでしょうか?それでもって「これが学会か?」などと思われる。どのような立ち位置なのでしょうか。お偉いのですね。きわめて陳腐ですが。中山間地域での地域振興に関しては著書もあります。日本民俗学会でも、農業土木学会でも、村落社会研究でも、農業経済でも書評されているものですから、そうお目に触れないものではないものと存じます。申し訳ないですが、こうした場でこそこそ陰口を叩くのではなく、正々堂々、学会誌にでも反論を載せていただけたら気分がいいのですが。こういう当事者の目に触れないであろうことを前提にした口汚い批判にはあきれ返ります。これこそ学問界としては顰蹙ものではないでしょうか?見られるとは夢にも思わなかったのでしょうが。卑怯ではないですか?
現場でどうしようもないほど悩んでいますので、偉い学者さんに何をいわれようと、わたしそのものが学者ではありませんので、あまり自分の実績を言われてもわたしには感じ入りませんのでご容赦ください。
先生の著書、先ごろも買いまして読ませていただきましたが、すべて読みきれませんでした。「民俗学」という分野と先入観をもって読み始めると、なかなか読みきれませんでした。やはり農業土木から民俗学を視る、そういう先入観から読み始めれば良かったのかもしれません。
ひとつだけ加えさせていただきます。
先生の話は人を引き付けられるようで、会場で若い学生さんたちが、話術に感じ入って盛んに話題にされていました。とはいうものの、本文にも書きましたが、「カッコいい機械いっぱい買って、ひとりで10町歩も田んぼ管理してるんですよ。まだまだできるよと言ってました」と表現された話しっぷりは、どうしても農業を日々やっている者にとっては納得いきませんでした。こういうしゃべりで、人のこころを奪ったとしても、ちょっと違うんじゃないか、そう思いました。
いずれにしても、公開している以上だれが読んで、どう批判されても受け止めるつもりでいますので、よろしくお願いします。実は、懇親会の席で言葉をかけてみたいと思っていましたが、先生なかなかお忙しいようでしたので、アプローチできませんでした。立派な先生に直接ご批判いただき感謝いたします。
三石稔
地域活性化のことで、とても深くほりさげた内容、採算がとれない維持するだけの百姓の現場の声を発信することは、意義があることとおもいます。
昨年、当該地の温泉施設等の補修改造の補助金がらみで、策定会議の一員として参賀しました。
福島大学、吉田樹准教授を助言者、各種団体の代表を委員として、地域おこしの専門?のコンサルの素晴らしい策定案を市上位関連計画と擦り合わせ予算付けして
工事に入っている現状からして、今後、どのようになっていくか見守るしかないデス。
策定会議に、区長として出席して感じたことですが、耕作放棄地にならないように、農地を維持管理している兼業農家の人たちの後継者がいないなか、人口流出を止めることはできません。
ここに住んでいて住民は、、不自由でないし(車が運転できる方)、百姓は、裕福でなければできません。
空き家対策で、自然大好き、無農薬、自然農法などと、新規就農者が、無償に近い賃貸料で入居しているが、農業をやったことのない人たちですので、”だらしない農業”に、地域住民との軋轢も懸念されている現状です。
地域活性化など、どこも昔から少なからずおこなわれており、亡父も、50年前、僻地対策事業で、梅を定植させ少しは村おこしになったくらいで、策定会議でも、予算化できないような提案等は、将来の努力目標くらいで
策定書に織り込むしかないです。
”米10町歩で生計は成り立たない”と書いておられましたが、今の日本の農業を端的に表した表現だとおもいます。
都会の方が、棚田が素晴らしいなどと言っているようでは、日本の農業はどうなるのでしょうか。
農林業対策で、ドングリを植えればいいなどと偉い学者先生は、宣っていたが、如何もんでしょうか。
郷土史の仲間たちは、郷土の歴史、民俗を、真剣に後世につないでいく使命感!で取り組んでいて、頭が下がりますが、小生は、たまに寄稿するくらいです。
とりとめのない雑文で申し訳ありませんが、貴殿のブログUP楽しみにしています。
了
なんなのでしょう。ただひたすらに「経験」と自分自身のみが認識するあなたの境遇に同乗してほしいんですか?私はこうした自己憐憫にのみひきこもる風潮を打ち壊したいと考え活動しています。こうした風潮から抜け出そうとしない連中こそが現状を悪くしている大きな要素ですから。
天草の事例がおかしいと思うのならば、私のちょっとした発言をこうした場で、こそこそと、恣意的に馬鹿な学者の発言のように加工して引用することではなく。直接文句を言ってきたらどうでしょう。大学のホームページを見れば代表電話もあるし、研究のタグには私のプレスリリース中に私個人への連絡先も掲載してます。連絡されたらどうでしょう。私が質問への回答で詳しく言えなかったその経営者の詳細を教えて差し上げますよ。
私の話に嘘がありますか?なにか間違っておりますかね。
あなたがおっしゃる、「しゃべり」に、ごまかされた学生が熊本にも大勢いるということですね。ひどいことを言いますね。
私としては民俗学の発展のため、地域社会の維持発展のため真摯に努力してきた結果なのですが。研究所研究員出身で教育歴の無い私は、民俗学専門の学生の指導にも努力(しゃべりでごまかし)しました。就任以来、民俗学の講義・実習・演習等の充実に努めてきたことは当然として、それ以外に、数学や経済の自主ゼミ等により、学生を鍛え上げました。学生一人一人の進路希望を叶えるためです。現在、14名の卒業生が、公務員、公的法人職員として働いています。国家一種(総合職)の合格者もいますが、ほとんどが地域行政で熱心に働いています。民俗学の学識をもって地域社会を良くしていこうとする人材を育成し、社会に送り出すべく努力しているのですが。何か問題ありますか。また、多くの学生を「しゃべり」でごまかして来ましたが。色々な都合、また私の指導力が及ばなかった一部学生を除き、9割の学生が民間や進学を含め希望の進路に進んでおり、その中の8割が九州それぞれの地元、地域社会で仕事しております。就任後7年の「しゃべり」の成果です。あなたに言わせれば「しゃべり」に騙された多くの学生たち、私の「しゃべり」に惹かれて良かったと思っていることでしょう。なにか「違い」ますか?
私の「しゃべり」のせいもあるのでしょうが、全員が過疎や高齢化や限界集落やらやら、外部の大きな言説に足を取られることなく前向きな考えを持つ若者たちです。そうした若者が増えることこそ、地域のためでしょう。経験だ、現状(主観的現況に過ぎないと思いますが)だと、私的なことばかりにすがって自分を安全地帯に置き、こそこそ陰口を叩いて人を貶めようとする大人が増えるよりよほど良いでしょう。今後はまた、そういう大人に感化されないよう、そういう大人にならないよう学生を鍛え上げなければなりません。
一層頑張りますので、よろしくお願いいたします。
また、私が付き合っている「日々農業をしている」経営者の方も、私のしゃべりを聞いて、納得できなかったにしても、きちんと議論してくださる方々です。親しい友人です。
限界集落である当地の空き家対策は、富士宮市役所が、一応窓口になって、都会の生活に敗れた、疲れた若者たちが、田舎暮らしをしてみいいということで、出来れば子供がいて手に職を持っている方がベストだと思います。
地元小学の在校生が僅か総数10余名しかなく、5~6人くらい新定住者の子供でなんとか閉校を免れている状況です。
最近、静岡大学の学生が、当地に来て、地域の行事(区の行事)のお手伝い!に来ているが、小生が区長の時、公民館の使用料(規約で区外団体は有償)は、払わないなど、所詮は、学生の単位取得の手段としてこられても、受け入れているのが(代表者は外から移住した方)、小生は、気に入らなかった。
以前から、祭りや区の行事は、役員が協力してやれる範囲で祭りなどを維持してきて問題がありません。
20歳前後の学生が、来てくれても、彼らのために仕事を与える苦労を、わざわざ小分けして仕事を与えるということは、面倒くさいことです。
区の役員は、区長、町内会長、組長、が中心となり、行政の下請けの使い走りをしているようで、小生は、公の場で、改革をぶち上げたことがあります。
区長(85戸)の行政からの報酬は、年間5万円で、議員位の仕事、(約120日位出席)、区長となれば、祝儀、香典、他区長との付き合い等、個人負担です。
此れでは、だれも区長などやる人はいません(昨年、4月10日になっても、区長の成り手がなく、行政も困るようで、仕方なく小生が1年間引き受けた)
それから、区は、行政の使い走りみたいで、区不要論が、でており、行政の木っ端役員が、配布物を各戸へ配り歩けとぶち上げました。
新規就農者に対するく返さなくてもいい補助金については、3月まで農業委員をやっていたので、詳しくは書かないが、10人新規就農になっても、採算がとれるかどうかわかりませんが、1一人継続してやっているかどうかの現状であり、小生は、家もない農機具もない、農地所有してない新規就農を増やすより、農家の跡取り(兼業の若夫婦)がやったほうが、親も手伝えるしアドバイスができ、”だらしない農業”をしているものより、補助金を与えたほうがいいのではないかと、委員会で発言したことがあります。
新潟の大型トラックの運ちゃんと話す機会があり、圃場整備された10町歩の米、1町歩のハウスをやっても、トラックのって生活費を稼がないと暮らしていけないと嘆いていました。
貴殿のブログで、”水稲10町歩でも生計が成り立たない”というワードは、小生も、以前、農協の役員(理事)のときも、正組合員に対して、口を閉ざしていたが、詳しくは、農協の問題も含めて、小生の拙いブログ”猛虎過江”で小生の言いたいことがUPしてありますので、確認ください。
かなり、私的なとりとめもない雑文でもうしわけありません。
ブログの更新、ご苦労さんデス。
鍾馗/猛虎過江 拝
大学が迷惑をおかけしていることはあることでしょう。しかしながら、私は静岡大学ではなく熊本大学です。私的と言いながら、我々も同じ迷惑をかけていると印象付けるような投稿をどのような根拠をもってされるのでしょう。なにか違うとしか言いようがないです。
大体において私は実習の話ではなく、実際に地域社会の担い手として学生を就職させているという話をしたはずなのですが。論旨が全く異なりますね。
要するに私の投稿とは全く別に大学やアカデミズムは地域社会に関わるな!という極私的なご意見をおっしゃられているということなのでしょうか?
あるいは皆様が苦労されていることを知ってほしいということなのでしょうか?
もし後者であるなら、40分の報告時間どころか、わずか数分の質問への回答の、あなたが私的に気に食われなかったフレーズばかりを取り上げて、人を貶める発言をされるというような、我々の努力をはなから馬鹿にしてるこの一連の行為をどう説明するのでしょうか。
公務員批判、アカデミズム批判、学者批判、相手から反論のないところを選んでご自身の不満をぶつけてこられる。それで反論があれば、学問を憂うとしながら、自分は学者ではないとか、私的な経験・意見とか、さんざ人を貶めておきながら逃げようとする。ほかの上品な先生がたは、無視されるかもしれませんが、私はこうした風潮がはびこることが到底許せません。違うと思います。せめて本投稿の学問を憂うるとかいう、大学教員が使うこと遠慮する。居丈高な題目を変えていただけませんか?
会社の友人は、県内でもコメが美味いとよく知られた地で米作りを手伝っていました。当時30町歩くらいやっていたのですが、やはりお父上が歳を重ねてきて、以前のようにはいかないと、今はだいぶ規模を縮小してきているようですが、コメだけで生業とするには、数十町歩という規模が求められるようです。まだまだこの先土地の流動化も含め、農政はそうした方向に向かうことでしょう。しかしながら、ここで問題になってくるのが農業用施設の維持問題。集約されると施設の維持がままならなくなる。そこで、施設に対する維持補修という補助も農政の方向性に協力するところにしか補助金を出さなくなる。結果的に小規模あるいは長野県内のように施設維持に苦労しているところは、農業をどう理解していくかという、何というか教育的努力をしないと継続できなくなるわけです。
話は変わりますが、近いところでもいわゆる地域活性化のプランナーと言われるような人たちが活動されて、自治体職員の中には神様のように崇めておられる方がいます。確かに前向きに捉えれば何もしないよりは前進、あるいは「考える」種を蒔いているのでしょうが、異論もいろいろです。
逐一上げていくと、結局このページ上に書いてきたような問題が浮かんでくるわけですが、確かにお偉い先生が言われるように同情を求めているのかもしれません。とはいえこうしてご意見をいただけることで、また何か違ったものが見えてくるかもしれませんので、今後ともよろしくお願いします。
鍾馗/猛虎過江様へ深謝
このような場所で、お忙しい時間を割かせてしまったことを心よりお詫びいたします。