昭和61年12月13日撮影
中郷の祭りはもちろん翌日13日の朝まで行われる。仕事に間に合うように中郷を出て、飯田市の事務所へ直接向かう。基本的に徹夜をするようなものなのだが、さすがに身体がもたないので、こう言う場合は、前日仕事が終わったらすぐに自宅に帰り、12時頃まで床に入る。それからオモテ(面)が登場する時間までに祭りに向かうから、祭りをずっと見ている人たちからは、暗黙に冷たい視線が注がれる。しかしそんなことは気にしていられない。
13日も仕事を終えてからその足で和田へ向かう。和田は13日のうちに祭りを終えるので、祭りが終わったら自宅に変えることができる。しかし、若いころは、この帰りの道がけっこう「眠たい」。
和田を中心とした霜月祭りは、上村や木沢で行われるものと様子がだいぶ違う。あの独特な笛の音色がないのである。太鼓のみの音で数々のオモテが登場し、舞もほかとは異なる。腰に手をあて、前後に身体を揺すりながら釜の周囲をまわる。最後に登場する猿が特徴的な存在である。舞もほかのオモテとは異なり、舞う時間も長い。最後の猿の前に登場するのがションベンババアサで、神太夫とともに釜をまわるが、手に湯たぶさを持って、観客の頭を撫でてまわるのだが、からかうと叩きまくったりする。場内が最もざわつく時だ。今の祭りはわからないが、和田はさすがに南信濃の中心だけに、観客が多かった。オモテの数が41面と多く、当時から子どもがオモテを被る姿があった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます