T.Shimada's Diary

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福井城に見る歴史

2006年05月27日 19時52分55秒 | 福井
 先週末、福井城址を訪れた。福井市の中心にあり、福井駅前からもそう遠くはないのだが、行く機会はそうなかった。最近、福井城周辺の整備も進められ、改めて行ってみる事にした。

 福井城址には現在、県庁と県警本部の建物がある。堀をまたぐ橋としては、南の御本城橋と西の御廊下橋がある。今回は、このうち天守台に近い御廊下橋から福井城に入った。


 この御廊下橋(おろうかばし)はその名の通り、元々は屋根付きの橋であった。御廊下橋と呼ばれる橋は日本各地の城にもいくつか存在しており、藩主など地位の高い人々が利用した橋であった。福井城の御廊下橋は現在屋根付きではないが、これを復元しようという話もある。


 御廊下橋から城内に入ると、すぐ左手に天守台がある。急な階段を上ると、二つの天守台が残っている。


 このうち左手には、元々4層5階の天守閣が建っていた。天守台への階段脇に設置されている解説によれば、福井城は1601年から6年を掛けて築城され、1669年の大火まで約68年天守閣が存在していたという。


 こちらは天守台の様子。現在は、すぐそこにまで県庁と県警本部の建物が迫っている。こう見ると、天守台はもはや歴史の片隅に追いやられている、という印象も受ける。


 天守台から北西方向には裁判所が見える。かつてはその辺りまで外堀があったといい、福井城の広大さを伺うことが出来る。


 このすぐ隣に控天守台があるが、1948年の福井震災による石垣の崩壊の様子がわかる。


 また控天守台の南側には、福の井がある。「福井」の名称の基となったと言われている。


 先ほどの天守台から御廊下橋を抜け、今度は城の南東に行く。ここからは巽櫓(たつみやぐら)の跡を見ることが出来る。巽櫓は、天守閣が焼失した後、その代わりとして改築され、明治期まで福井城のシンボルとなっていた。写真などの資料も比較的多く残されており、復元を目指す取り組みも行われている。

 今回久しぶりに福井城を訪れたが、直に見て城の威容さ、歴史の魅力というものを強く感じた。


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