![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e9/820ad9934f4566eb9146ad96e593b3de.jpg)
先週末、福井城址を訪れた。福井市の中心にあり、福井駅前からもそう遠くはないのだが、行く機会はそうなかった。最近、福井城周辺の整備も進められ、改めて行ってみる事にした。
福井城址には現在、県庁と県警本部の建物がある。堀をまたぐ橋としては、南の御本城橋と西の御廊下橋がある。今回は、このうち天守台に近い御廊下橋から福井城に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/9d/293b354a65f4fce04b1bc2b46766ccfa_s.jpg)
この御廊下橋(おろうかばし)はその名の通り、元々は屋根付きの橋であった。御廊下橋と呼ばれる橋は日本各地の城にもいくつか存在しており、藩主など地位の高い人々が利用した橋であった。福井城の御廊下橋は現在屋根付きではないが、これを復元しようという話もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/00/ac/7d885632b5f464ed12061e376a1dfbaa_s.jpg)
御廊下橋から城内に入ると、すぐ左手に天守台がある。急な階段を上ると、二つの天守台が残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/69/c41d06c4e096df713c2109c1b57b11de_s.jpg)
このうち左手には、元々4層5階の天守閣が建っていた。天守台への階段脇に設置されている解説によれば、福井城は1601年から6年を掛けて築城され、1669年の大火まで約68年天守閣が存在していたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/10/29/e9e5680fc6cbef193d28e72f448fe61c_s.jpg)
こちらは天守台の様子。現在は、すぐそこにまで県庁と県警本部の建物が迫っている。こう見ると、天守台はもはや歴史の片隅に追いやられている、という印象も受ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/9c/ca7f177350b79be9162a0c46eac8e813_s.jpg)
天守台から北西方向には裁判所が見える。かつてはその辺りまで外堀があったといい、福井城の広大さを伺うことが出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/c0/63dad0e26932cf770c3b4cbe9404c6ba_s.jpg)
このすぐ隣に控天守台があるが、1948年の福井震災による石垣の崩壊の様子がわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0c/d6/42d020adda73679c3faf4d7db8df254a_s.jpg)
また控天守台の南側には、福の井がある。「福井」の名称の基となったと言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/8a/51c9828aa09036ac4979e85802d22060_s.jpg)
先ほどの天守台から御廊下橋を抜け、今度は城の南東に行く。ここからは巽櫓(たつみやぐら)の跡を見ることが出来る。巽櫓は、天守閣が焼失した後、その代わりとして改築され、明治期まで福井城のシンボルとなっていた。写真などの資料も比較的多く残されており、復元を目指す取り組みも行われている。
今回久しぶりに福井城を訪れたが、直に見て城の威容さ、歴史の魅力というものを強く感じた。
福井城址には現在、県庁と県警本部の建物がある。堀をまたぐ橋としては、南の御本城橋と西の御廊下橋がある。今回は、このうち天守台に近い御廊下橋から福井城に入った。
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この御廊下橋(おろうかばし)はその名の通り、元々は屋根付きの橋であった。御廊下橋と呼ばれる橋は日本各地の城にもいくつか存在しており、藩主など地位の高い人々が利用した橋であった。福井城の御廊下橋は現在屋根付きではないが、これを復元しようという話もある。
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御廊下橋から城内に入ると、すぐ左手に天守台がある。急な階段を上ると、二つの天守台が残っている。
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このうち左手には、元々4層5階の天守閣が建っていた。天守台への階段脇に設置されている解説によれば、福井城は1601年から6年を掛けて築城され、1669年の大火まで約68年天守閣が存在していたという。
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こちらは天守台の様子。現在は、すぐそこにまで県庁と県警本部の建物が迫っている。こう見ると、天守台はもはや歴史の片隅に追いやられている、という印象も受ける。
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天守台から北西方向には裁判所が見える。かつてはその辺りまで外堀があったといい、福井城の広大さを伺うことが出来る。
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このすぐ隣に控天守台があるが、1948年の福井震災による石垣の崩壊の様子がわかる。
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また控天守台の南側には、福の井がある。「福井」の名称の基となったと言われている。
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先ほどの天守台から御廊下橋を抜け、今度は城の南東に行く。ここからは巽櫓(たつみやぐら)の跡を見ることが出来る。巽櫓は、天守閣が焼失した後、その代わりとして改築され、明治期まで福井城のシンボルとなっていた。写真などの資料も比較的多く残されており、復元を目指す取り組みも行われている。
今回久しぶりに福井城を訪れたが、直に見て城の威容さ、歴史の魅力というものを強く感じた。