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桜が満開のこの時期、福井県内でも各地で桜を観ることができる。この週末、時間ができたので、いくつかの桜の名所を観てまわることにした。
福井でも有名な桜の名所はいくつかあるが、よく知られているのが足羽川堤防であるかと思う。江戸時代には、九十九橋の南側に桜や桃の木が植えられていたそうで、足羽川の桜はその頃から親しまれてきた。
足羽川の桜
しばらくしてから、電車で鯖江に戻り、西山公園に行くことに。その前に、福鉄神明駅の桜を撮った。この桜の下には、鯖江市のコミュニティバスの停留所がある。
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3本並んでいる桜はこの時期、さながらバス停の待合所のように、花の傘を差している。
場所は変わって、西山公園。つつじが有名であるが、桜の名所としても知られている。堤防に沿って桜のトンネルが形づくられる足羽川とは異なり、山に扇のように咲いている。
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この中でも自分が惹かれたのは、この紅桜である。白のソメイヨシノとはまた、違った趣がある。紅白そろうと、なんともめでたい?
この日は天気も良く、足羽川や西山公園では、桜を観ようと見物客が大勢訪れていた。時代は変わろうとも、花見の文化は今も昔も、絶えることなく、我々日本人の風習として残っている。心を豊かにする風習、大事にしたい。
(トップ写真は幸橋より,桜橋方面)
福井でも有名な桜の名所はいくつかあるが、よく知られているのが足羽川堤防であるかと思う。江戸時代には、九十九橋の南側に桜や桃の木が植えられていたそうで、足羽川の桜はその頃から親しまれてきた。
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しばらくしてから、電車で鯖江に戻り、西山公園に行くことに。その前に、福鉄神明駅の桜を撮った。この桜の下には、鯖江市のコミュニティバスの停留所がある。
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3本並んでいる桜はこの時期、さながらバス停の待合所のように、花の傘を差している。
場所は変わって、西山公園。つつじが有名であるが、桜の名所としても知られている。堤防に沿って桜のトンネルが形づくられる足羽川とは異なり、山に扇のように咲いている。
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この中でも自分が惹かれたのは、この紅桜である。白のソメイヨシノとはまた、違った趣がある。紅白そろうと、なんともめでたい?
この日は天気も良く、足羽川や西山公園では、桜を観ようと見物客が大勢訪れていた。時代は変わろうとも、花見の文化は今も昔も、絶えることなく、我々日本人の風習として残っている。心を豊かにする風習、大事にしたい。
(トップ写真は幸橋より,桜橋方面)
アケボノさんやぁ~。2月の合宿免許の時にお世話になりました
。雪の積もったあの寒々とした風景を見てきた私にとっては、何とも華やかな光景です。
桜の時期は無理やとしても、紫陽花の時期には何とかしたい。それが駄目なら、そばの花の時期にメディアに納めたいと思います。
所で、九十九橋の南って桃の花でなかったんじゃ…
>江戸時代には、九十九橋の南側に桜や梅の木が・・・
ではなく
>江戸時代には、九十九橋の南側に桜や桃の木が・・・
が正しいです。周辺に「桃園」の地名が残されていることが、その由来とされています。本文訂正の上、読者の皆様にお詫び申し上げます。
その桃林は明治期に姿を消しますが、その後桜や楓の植樹が行われており、現在の堤防の原型となりました。補足と言う事で。