凸凹家族どっこい米国とオーストラリアとドイツとカナダで生きてます

タイ、マレーシア、オーストラリア、チェコ、英国、バングラデシュ、米国とカナダに住んで感じたことを、そのままお伝えします。

新たな活動の開始

2022-02-25 23:10:27 | その他の地域
今年こそは世界中からコロナが収まって、活動が再開できますように。

まずは、
ドイツ気鋭の新人サキソフォニストの紹介です。

Schnyder: Sonata for Soprano Saxophone and Piano

  ↑ クリックで上演

今後ともどうぞよろしくご贔屓に!

他にも、新世界での活動の予感が。
乞うご期待!!!
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オーストラリア大陸横断の旅(ビクトリア州)

2019-05-06 16:01:22 | その他の地域
オーストラリアの道路事情(路面状況)をお知らせします。
今回は主にビクトリア州の道路です。

大きな都市の近くや、都市間を結ぶ幹線道路では、
一部片側2車線以上のいわゆる日本で言う高速道路がありますが、
都市部を出ると割と早いタイミングで片側1車線の対面通行になってしまいます。



こんな感じですが、制限速度は110Km/hで、結構快適に走れます。
(オーストラリアは時速表示がKm/hです)
ただ、時期が夏の終わりで乾季に当たるため、ほとんどがマッドマックスのような砂漠状態の平原景色で、すぐに飽きてしまいます。



面白くない景色が延々と続くので写真撮ってませんが、
たまたま発生した竜巻を撮った写真です。写真には写ってませんが3本同時に発生していました。
こんな景色がずーっと続きます。
なので、みんな ”ぼーっ” と走っているせいか、
結構カンガルーが撥ねられて、路上でお亡くなりになっていました。合掌

でもまだ路側帯に白線もあり、名前も○○ハイウェイと呼ぶにふさわしいものですが、
そのうち路側帯の白線もなくなり、

「路肩ソフト、注意!」

の看板が出てきて、簡易舗装になっちゃいます。





こういうところはたいてい制限速度は100Km/hです。
地元民は慣れているので結構飛ばしていますが、100Km/hで対向車が来ると、
特に大型のトラックが来ると飛ばされそうで怖いです。

カーブの手前には「速度落とせ」の注意看板がありますが、
見落としてオーバースピードで突っ込んじゃうと大変なことになります。



たまに牛なんかも道路を渡っているので、調子に乗って飛ばしているとひどい目にあいます。



牛だけでなく、先述のカンガルーなど野生動物もたくさんいるので、要注意!



誰かがいたずら書きしたらしくて、カンガルーとウォンバットの背中にトゲが生えています。



さらに進むと、
ついに簡易舗装も1車線分だけになり、対向車が来るとどちらかが路肩に避けなければならず、根性比べになります。



橋も、下の川に船が通れるように跳ね上げ式の橋なので1車線です。
今まで全然車いなかったのに、こんな時に限って対向車が来たりします。



そして、ついに舗装も無くなりダート(泥道)になっちゃいました。



この辺の路面状況は、パース近郊のボールベアリング状の砂利とは違い、完全に赤土のパウダー状です。
ホコリがすごくて、車の後ろはもくもくのダストで何も見えません。

サファリラリーみたい。

Comments (2)
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オーストラリア大陸横断の旅(レイクティレル)

2019-03-26 17:31:46 | その他の地域
観光のため、途中にあるレイクティレルという湖に寄ります。

観光案内では、
湖面が鏡のように平らで、風の無い日は景色が映って絶景だそうです。
特に湖面に写る夕日が死ぬほどキレイだそうで、日没時間を狙って行きました。
観光案内ではこんな感じ(ウェブより)



ところが、
着いてみると、なんと



夏の終わりで乾期のため、水が全く無く、カラカラ
ソルトレイクになってました。

残念!




仕方なく夕日はあきらめて、モーテルのある町(村)Swan Hillを目指します、が、

路面がグラベルになり、だんだん先行き怪しくなってきまました。



おお、なんてこった!
こんなところで痛恨のミスコース!!!





そしーて僕らは 途方に暮れる♪

でも、
夕日の沈んだ空は限りなく美しく、





そのあとは満点の星空が。
久しぶりに、天の川を見ました。
今にも本当に星が降ってきそうな数で、感動です。
写真に撮れなかったのが残念です。
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オーストラリア大陸横断の旅(アデレード2)

2019-03-26 17:02:56 | その他の地域
車も無事ピックアップしたので、アデレードの街で朝食を採って出発します。



中華街があります。



早朝でどこの店もやってません。



市場のカフェで朝食を、イングリッシュブレックファスト おいしい。







アデレードの街を出るとすぐに郊外になり、
ハイウエイとは言えど、片側1車線の対面通行です。
110Km/hでトラックとすれ違うのは結構怖い。
ケニヤのモンバサロードを思い出しました。
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オーストラリア大陸横断の旅(アデレード)

2019-03-26 10:42:50 | その他の地域
アデレード・パークランズ・ターミナル駅に定刻で到着(驚き)



積み込みと逆の手順で車を降ろします。



係の人がすべてやってくれるので、
ラウンジでコーヒー飲んで待ってます。
コーヒーはバウチャーくれるのでサービスです。うれしい!





そうこうしているうちにポケットベルで呼び出されて、準備完了です。





これは早い。定刻到着といい、オーストラリアらしくないスピーディーなサービスです。
車があるときの移動は、自走するよりもらくちんなので、ぜひともお勧めです。



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オーストラリア大陸横断の旅(パース)

2019-03-24 11:33:05 | その他の地域
娘の引っ越しのため、オーストラリア大陸を横断する旅に出ます。
西オーストラリアのパースからニューサウスウェールズのオーブリーまで、3,482Kmを陸路で移動します。



まずはパース西駅で、車を列車に積み込みます。



駅には専用の乗り場があり手続きは簡単。
積み込みは係の人がやってくれるので、らくちんです。



駅には蒸気機関車の展示があり、歴史を感じます。



この列車でアデレードまで運びます。
オーストラリアなのに、インディアンオーシャンとは、これ如何に。
(鉄道会社の名前です)



アデレードには3日後の朝に到着します。
さあ、オーストラリア大陸横断の旅、始まりはじまり。
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昭和回顧録(ニッポン)

2019-01-12 10:09:46 | その他の地域
最近日本のネットやテレビを見ているてよく目にするタイトルで、

「あの頃は良かった、懐かしい昭和の物」

なんて、回顧録みたいな昭和時代を賛美するような番組がありますが、
私はビンボーだったせいもあり、昭和は暗くて辛くて思い出したくもない記憶ばかりで、
賛美するほどのものではないと感じていますが、
賛美ばかりではなく、そんな時代もあったんだよと、
後世の子供たちに知ってもらうための備忘録として記します。


トイレがポットン式

都内でも、月に一度バキュームカーが回収に来るポットン式トイレでした。
バキュームカーが来るとものすごい匂いで、子供達は鼻をつまんで逃げ回ってましたが、
今思えばバキュームカーで働く人にとても失礼だった、子供でも。
列車のトイレもポットン式で、線路に垂れ流しです。
「停車中は使用しないでください」
なんて張り紙が貼ってありました。
道路の踏切で列車の通過を待っているとき、しぶきが飛んでくるのであわてて逃げるのが常でした。
車両には冷房なんてもちろんありませんから、夏は窓は全開、
天気は晴れているのに時々水しぶきが飛んできて、子供心に
「なんでだろー?」
と思ってましたが、今思うとゾッとします。


家の前にドブ

住宅地の道路脇には必ずドブがあり、生活用水はこのドブに垂れ流しでした。
すぐにヘドロが溜まるので、月に一度みんなでドブさらいすることが町内会の決まりでした。
遊び盛りの子供達は、貴重な日曜日に駆り出されるこの重労働で汚いこのドブさらいを、
ことのほか忌み嫌ってました。
解放型のドブですから、文字通りドブネズミやゴキブリがたくさんいました。
私が今でもゴキブリが苦手なのは、この頃のトラウマです。


木造家屋

ほとんどの家が木造モルタル建築でした。
窓もアルミサッシではなく、木枠に薄い板ガラスをはめただけのもので、
冬は隙間風がハンパではなかった。
夜寝ていると、顔に隙間風が当たるのが感じられ、
朝、布団の口元の息がかかるところが凍っていることもありました。
もちろん、羽毛布団なんて買えませんから、
寒さしのぎに座布団を何枚も布団の上に乗っけて寝ていて、めちゃくちゃ重かった。
私は昭和時代の一番辛い思い出が、この寒さです。ビンボー人にとっては寒さが一番辛い。
今でも、暑いのはいくらでも我慢できますが、寒いのは少しも我慢できません。


光化学スモッグ

高度経済成長真っただ中ですから、公害垂れ流し
子供のころ、学校が環八と青梅街道が近いこともあり、
よく光化学スモッグ注意報、警報が発令されていました。
ニュース番組の天気予報で、光化学スモッグ予報なんてやっていたくらいです。
今では聞きなれないこの言葉、詳しい事は知らんけど、
排気ガスに含まれる成分が光と化学反応を起こして猛毒のダイオキシンになる現象の事らしい。
これが頻繁に発生しており、特に、太陽光の強い夏場によく発生していました。
学校のプールで泳いだりしていると、これをより多く吸い込んでしまうので、胸が痛く苦しくなり、
大きく息が吸えない呼吸困難になることがよくありました。
それでも子供たちは元気に外で飛び回って遊んでいた、すごい時代です。


給食

学校のお昼ご飯は、給食と言って全員が同じものを配給されていた。
今のキャンティーンと違って、半ば強制的に教室で食べていた。
メニューも今とは全く異なり、
脱脂粉乳 = 生ぬるくてとても臭い、ブリキのバケツに入ってきて、ひしゃくですくってアルマイトの食器によそっていた。
この時点で既に食欲無くなる。
コッペパン = いつ作ったのかと思うほど硬くて、友達とケンカするときはこのコッペパンで殴り合うほど。
臭くてまずくて食べられないので、パンだけはお残しで持って帰ることが許されていた。私は毎日持って帰っていた。
みんな持って帰るので、パン持ち帰り用の布袋を持ってくるよう学校からの指定があったほど。
ちなみに、おかずはお残しが許されず、嫌いでどうしても食べられない子供は、
給食の時間が終わり、教室の掃除が始まっても、食べ終わるまでずーっと残されていた。
子供心にも「ヒドイことするなあ」と思ったので、上級生になって1年生の教室の掃除当番をする時など、
先生に内緒で、残された子のおかずをこっそり食べてやっていた。
おかず = 子供心にも、「どーすりゃいいのさ」と思うおかずが出ていた。
一番鮮明に記憶にあるメニューは、
クジラの竜田揚げ+ほうれん草のお浸し+おしるこ+上記の脱脂粉乳とコッペパン
たぶん栄養士の方が栄養を考えてのメニューでしょうが、組み合わせが信じられない。
また、これを先割れスプーンで食べるご自分の姿を想像してみてください。
 (先割れスプーン = スプーンの先端が三又に割れていてフォークの役目もする。
  全てのおかずをこれ1本で食べることが義務付けられていた)
クジラの竜田揚げはスジが多くて噛み切れない、給食の時間が終わってもまだ口の中でモグモグしてました。
これを先割れスプーンでは食べられないので、みな手で持って食いちぎってました。
なので、今でもクジラ肉は嫌い。捕れなくなってもかまいません私は。



洋服がでかい

なぜか、洋服がみんな大きくてダブダブのものを着ていた。
男も女も肩パットが入って、超ビッグサイズでヒラヒラのスーツやドレスを着ていた。
子供なんて、どーせ大きくなるんだからと、2サイズくらい大きいのを着させられていた。
学生服(学ラン)も丈が長くて、ズボンもボンタンなんて言ってものすごく太くて長かった。
女子も長くて太いスカートを履いて、裾を床にズルズル引きずって歩いていた。
今の超ミニスカートの女子高生には信じられないでしょう。
私はそんな当時から、洋服をだらしなく着るのが嫌いでしたので、
この太いズボンをわざわざ母親に頼んでミシンで細くしてもらい、今で言うスキニーにして履いていた。
学生服もボタンを開けてだらしなく着るのが嫌いだったので、
どんなに暑くても一番上のカラーまでキチンと止めて着ていた。
今なら妙に浮いてしまうかもしれないが、当時はもっと妙なヤツがいっぱいいたので、
別にどーってことはなかった。



<個人の見解です。諸説アリ>
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威張ったヤツは嫌いだぜ(ニッポン)

2018-10-19 13:21:07 | その他の地域
日本の牛丼屋やコンビニのレジなどで、
外国の方々、特にアジア系の国から来ている方のアルバイトをよく見かけるようになりましたが、
その店員さんたちに向かってやたら威張りちらしている(苦情を言ってる)日本人の客をよく見かけます。
たかだか牛丼一杯で威張られたらかないません。
他の飲食店でも客が店員さんに対して横柄な態度で、
その店よりもそういう客が嫌でもう行きたくなくなります。

「全ての客が神様ではない」

威張ったヤツは嫌いだぜ
二度と来ないでください
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油まみれラリー日記(ニッポン)

2015-07-25 11:44:28 | その他の地域
待ちに待った

「油まみれラリー日記」 東海林 哲朗 氏著

が届きました。



うれしー!!!

最初のページから涙、なみだです。
感動無くして読み進められません。
激動のラリー時代を共に過ごした生きた証です。

一生の宝、一家に一冊

みんな、買え!!!

購入はこちらから → プレイドライブ
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音楽と猫だけが人の心を救う(ニッポン)

2015-07-20 15:13:29 | その他の地域
と、いうわけで何故かまたニッポンに居ます。
で、仕事が終わり部屋でくつろいでいると
突然、本厚木に居るで~、のメールが。



久々に楽しい夜を過ごしました。

それにしても、
まみさんのピアノと歌声はどこまでも透き通っていて、
どうしてこんなにも美しいのだろう。

いまどき珍しく奥歯を食いしばらないで聴ける音楽です。
からだもこころも癒されました。


<解説>

誰だか忘れましたが有名な哲学者の言葉で

「人間の心を癒すことができるのは、

 猫と音楽だけだ。」

けだし名言です。
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無人販売所(調布)

2015-06-27 09:46:20 | その他の地域
いまだに在った

無人の野菜販売所





しかも東京都内です。

KLやバンコクでは

ありえない。

ニッポンは

い~くにだなぁ。
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カセットテープ(ニッポン)

2015-06-02 20:27:01 | その他の地域
懐かしいモノが出て来ました。





SONYのカッセットテープ
いや、懐かしい。
ガキのころは
これにラジカセで好きな曲をエアチェックして
胸ときめかせたものです。
カセット

トランジスタラジオ


そしてウォークマン



いわばSONYの全盛期でした。
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俺に聞くな(ニッポン)

2015-05-26 21:44:33 | その他の地域
電車の中で外人(ガイジン言うな!)
英語なまりからたぶんシンガポーリアンに道をたずねられた。

「オオモリに行くにはどのデンシャに乗ればいいですか?」

「さぁー?実はぼくも先週来たばかりでまだよくわからないんですよ。」

「?????」

そうです、
私が変な日本人です。
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地震だぁ!(トーキョー)

2015-05-26 18:25:19 | その他の地域
なんか昨日、大きな地震があったそうで、
「そうで」と言うのは、
自分は全く気がつかなかったワケで。
まあ、外で歩いていたときなので、
気がつかない事はともかくとして、
今は何かケータイに地震警報とか情報とかが即送信されるそうで、
ほとんどの日本人は地震を感じるよりも警報で知っていたワケです。
するってえと、日本に滞在している数万人の外国人の方々は
大地震が来たとき地震に気づかず、
気づいたときには、もうごくろうさんってワケですね。
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ドン引き(ニッポン)

2015-05-15 23:10:44 | その他の地域
コンビニでレジのおねいさんに挨拶したら、

ドン引きされた



<解説>
そんなに俺が悪いのか?



<続編>
新大久保のコンビニのレジのおねいさんに
タイ人かと思って話しかけたら
実はビルマ人で
「ついこの前ヤンゴン行ってきたでー!」
と大いに盛り上がって話し込んでしまった。
日本人ではありえない。
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