会社は生き物であり、天国に上る(成長)か、それとも地獄に落ちる(経営破綻)かは、すべて料理人(社長)の腕(経営力)にかかっている。
健さん主演の「あなたへ」私もJAZフェスを横目に観てきました。
富山から長崎まで1700Kmの車での「旅」(目的があって、帰る所がある)
心と心のふれあいが何とも言えない映画でした。
私の友人にもこんなのがいます。(現在進行形)
昨年の震災後4月に長崎県から岩手県の陸前高田まで2500Kmの道程を車で
ボランテイアに駆け付けてくれた男がいました。最初は原発事故の福島に
入りたかったようですが(彼曰く・・長崎県人だから)放射能汚染の関係
で入れず、やむなく岩手県まで走ったようでした。
陸前高田、大船渡に近い住田町にボランテイアの基地を造り責任者として
約一年ほど働き続けてきたようです。その間、数度長崎に帰ったのですが、今度は
長崎から陸前高田まで「陸前高田の一本松を救おう」と自転車で募金を集めながら
ペダルを漕ぎ続けたことには驚きでした。
震災後、長崎を出てくる時、奥さんに言ったそうです、二年間はボランテイアで
被災地を応援してくるからと・・・
大船渡、陸前高田は徐々に落ち着きを取り戻しつつあるので、今度は
南相馬の方で除染活動のお手伝いをしたい、とのことで現在は相馬地方に
通っているところのようです。
彼が曰く・・東北の方々はホントに心があったかい、ふれあいを通じて貴重な
経験をさせてもらっております・・とも言ってます。
そんな意味でも彼にとっては二年間の大きな旅をしているようにも思われます。
富山から長崎まで1700Kmの車での「旅」(目的があって、帰る所がある)
心と心のふれあいが何とも言えない映画でした。
私の友人にもこんなのがいます。(現在進行形)
昨年の震災後4月に長崎県から岩手県の陸前高田まで2500Kmの道程を車で
ボランテイアに駆け付けてくれた男がいました。最初は原発事故の福島に
入りたかったようですが(彼曰く・・長崎県人だから)放射能汚染の関係
で入れず、やむなく岩手県まで走ったようでした。
陸前高田、大船渡に近い住田町にボランテイアの基地を造り責任者として
約一年ほど働き続けてきたようです。その間、数度長崎に帰ったのですが、今度は
長崎から陸前高田まで「陸前高田の一本松を救おう」と自転車で募金を集めながら
ペダルを漕ぎ続けたことには驚きでした。
震災後、長崎を出てくる時、奥さんに言ったそうです、二年間はボランテイアで
被災地を応援してくるからと・・・
大船渡、陸前高田は徐々に落ち着きを取り戻しつつあるので、今度は
南相馬の方で除染活動のお手伝いをしたい、とのことで現在は相馬地方に
通っているところのようです。
彼が曰く・・東北の方々はホントに心があったかい、ふれあいを通じて貴重な
経験をさせてもらっております・・とも言ってます。
そんな意味でも彼にとっては二年間の大きな旅をしているようにも思われます。
行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。
淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。
世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。
玉敷(たましき)の都の中に、棟(むね)を竝(なら)べ甍(いらか)を爭へる、尊(たか)き
卑しき人の住居(すまい)は、代々(よよ)を經て盡きせぬものなれど、これをまこと(真)か
と尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或(ある)は、去年(こぞ)焼けて今年は造り、あるは、
大家(おおいえ)滅びて小家(こいえ)となる。住む人も、これにおなじ。
處もかはらず、人も多かれど、いにしへ(古)見し人は、二・三十人が中に、僅(わず)かに
一人・二人なり。
朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝ ならひ(習い)、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、
誰(た)がために心をなやまし、何によりてか、目を悦ばしむる。その主人(あるじ)と住家と、
無常を爭ふさま、いはば、朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花殘れり。殘るといへども、
朝日に枯れぬ。或は、花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。
川の水は絶えないけれど、といって、同じ水があるわけじゃない。
のんびり漂う泡ぶくだって、割れたり他とくっついたりして、延々と現状維持を続けたりしない。
人間といい、その人間の住み処といい、世の中だいたいそんな感じだろう。
きらびやかな、このみやこで、身分の高い人も低い奴も、
自分の家屋敷を見せびらかしている。
なるほどそういう家は、親から子へ、子から孫へと引き継がれているように見えるが、
詳しく調べれば、昔からあるような伝統家屋はほとんど無く、
去年壊れたところへ新たに建てた家や、昔は豪華だったのが小さく落ちぶれた建物ばかり。
そこに住む連中も同じだろう。
景気変動、万事が、浮き沈みの激しい世の中だ。
都会は都会で、昔から人も多い気がするが、実際のところ、
古くからいる人間は、20人、30人いたらせいぜい1人か、2人だけ。
朝のうちに誰かが死んだと思ったら、その日の夕方に赤ん坊が生まれる。
世の中ぜんぶ、まったく、さっき見た泡ぶくのようだろう。
生まれたら死ぬ、それが人間というものだけど、
基本的にみんな、自分がどこから来てどこへ行くのかなど、知ることはない。
どこへ行くのか分らないのだから、どんな家を建てたところで、所詮は仮の住まい。
それなのに、近所づきあいだとかでストレスを抱え、
見栄のためにごたごたと飾り付けようとする奴の気が知れない。
住人といい、その家といい、すべては川の泡ぶくめいたせわしなさで変化するもので、
人間など所詮、朝顔の露に過ぎないのだ。
場合によっては、そのしずくが落ちた後、朝顔の花だけがきれいに残るかもしれないが、
花は朝日を浴びれば枯れてしまう。
あるいは、朝日で花がしおれたあとで水滴だけ残ることもあるだろうが、
それもやはり、夕方までには蒸発して消えてしまう。
やれやれ、だ。
歳月の感覚というものは、人生においてかくも不均等なのであろうか。たとえば最近の三年間が、中学生の三年や高校の三年と同じであるとは、どうしても思えない。たぶんこの世には見えざる時の悪魔がおり、クックッと笑いながら人間の脳髄にネジ巻きでも差し込んで、人生に加速度をつけているのであろう。さっき寝入ったと思ったら朝である。今起きたと思えばたちまち日が昏れる。日曜の翌日が土曜のような気がしてならない。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にある かもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特 権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るため なら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった 保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で 許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持って も、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向 かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する 時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にある かもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特 権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るため なら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった 保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で 許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持って も、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向 かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する 時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
使われている、やらされていると思いながら仕事をするほどつまらないことはありません。たとえ一社員であっても、「自分は社長」の心意気をもちたいもの。そうした思いに立てば、仕事に対する姿勢が変わり、新たな意欲も湧いて、さらに創意工夫をこらすようになります。ひいては成果もあがり、働く喜びが高まってくることでしょう。
松下幸之助
松下幸之助
「福島第一原発の3つの原子炉がメルトダウンの可能性」-。米国の原子力
規制委員会が事故直後の議事録を公開した中で、こうした議論が交わされて
いたという。日本のメディアも事故直後には「メルトダウンの可能性も」と
の書いたが、政府も東電も認めなかったため、単なる推測記事で終わってし
まった感じだった。
東電が「メルトダウン」と認めたのは、3カ月後の5月12日。それも、歯切
れが悪かった。「1号機の容器に穴があいて冷却水が漏れている」と発表。「メ
ルトダウンか」との質問に、やっと「その可能性は否定できません」と答え
た認め方だった。その翌々日の14日に2、3号機についてもメルトダウンと
認めたが、これも「最悪の場合は同じ状態…」と直接的な表現を避けていた。
水素爆発の直後、「メルトダウンの可能性は否定できません」と発表したら、
どうだっただろうか。メディアは「ほんとうのことを発表すべきだった」と
言ったものの、ストレートに発表すれば日本中が大パニックになっただろう。
政府も東電も最初からわかっていて、ショックをやわらげるために段階的に発
表してきた感じがする。どこかにメルトダウンでないことを期待しながら…。
戦闘に負けても「我が軍の損害軽微なり」と発表し、撤退することを「転進」
と言い換えた大本営発表とどこか通じる。そうメールに書いてきた友人もい
る。「日本にとって戦後最大のピンチ、国難のときに最悪の首相だった」と前
首相はいわれた。彼が、日ごろから人望があり、あのときに周囲に怒鳴り散ら
すのを抑えていたら、世間の評価は「パニックから日本を救った男」といわれ
ていたかもしれない。いくらなんでも、そんなことはないかー。
「経営の中心部分が腐っている」―オリンパス旧経営陣による長年の巨額損失隠しを調査していた第三者委員会が6日に発表した調査報告書のエキスである。なんと激しい言葉だろう。内視鏡などの光学医療機器で世界シェア7割を誇り、従業員総数(連結)3万6000人の超一流会社に対するものとは思えない。
損失隠しを主導していた元社長(前会長)は、社長を10年も務め、「強力なリーダーシップ」があったとか。しかし、報告書は、その経営体制を「イエスマンばかりで、異論を言えない状況」と指摘、取締役会や監査役会を「イエスマンばかりで、まったく機能していなかった」などと切って捨てている。字句こそないものの、元社長を「独裁者」と断じたのに等しい。
先の大阪市長選で当選した橋下徹氏を「独裁者」と呼ぶ人がいる。だが、大阪市民は橋下氏の「強力なリーダーシップ」に期待したのだ。
橋下氏の政治手法とオリンパスのケースから、「独裁」と「強力なリーダーシップ」との評価の違いは、どこにあるのだろうかと思いをめぐらした。
その言動は紙一重で、その差は極めて微妙だ。あえていうなら、部下の話に耳を傾けるか否かの違いだろうか。部下の意見を聞かない人は「独裁者」、耳を傾ける人は「リーダーシップを持った人」だと思う。
中には、部下の意見に耳を傾けながらも、その実、自分の考えを曲げない人もいる。そういう人は耳を傾ける姿勢に意味があるととらえ、真摯(しんし)に聞く。そのため、意見が容(い)れられなくても部下からはおおむね好感をもたれ、「独裁者」とは言われない。
それと大事なことがもうひとつ。「独裁者」といわれても、結果が成功ならば「強力なリーダーシップで…」と評価される。橋下氏がそうだ。オリンパス元社長も損失隠しが表面化しなかったら、きっと「リーダーシップを持った名経営者」といわれただろう。
「終わりよければすべてよし」か、晩節を汚したといわれるか、組織のトップの評価は最後までむずかしい。棺(ひつぎ)を蓋(お)うて事(こと)定まる、である。
損失隠しを主導していた元社長(前会長)は、社長を10年も務め、「強力なリーダーシップ」があったとか。しかし、報告書は、その経営体制を「イエスマンばかりで、異論を言えない状況」と指摘、取締役会や監査役会を「イエスマンばかりで、まったく機能していなかった」などと切って捨てている。字句こそないものの、元社長を「独裁者」と断じたのに等しい。
先の大阪市長選で当選した橋下徹氏を「独裁者」と呼ぶ人がいる。だが、大阪市民は橋下氏の「強力なリーダーシップ」に期待したのだ。
橋下氏の政治手法とオリンパスのケースから、「独裁」と「強力なリーダーシップ」との評価の違いは、どこにあるのだろうかと思いをめぐらした。
その言動は紙一重で、その差は極めて微妙だ。あえていうなら、部下の話に耳を傾けるか否かの違いだろうか。部下の意見を聞かない人は「独裁者」、耳を傾ける人は「リーダーシップを持った人」だと思う。
中には、部下の意見に耳を傾けながらも、その実、自分の考えを曲げない人もいる。そういう人は耳を傾ける姿勢に意味があるととらえ、真摯(しんし)に聞く。そのため、意見が容(い)れられなくても部下からはおおむね好感をもたれ、「独裁者」とは言われない。
それと大事なことがもうひとつ。「独裁者」といわれても、結果が成功ならば「強力なリーダーシップで…」と評価される。橋下氏がそうだ。オリンパス元社長も損失隠しが表面化しなかったら、きっと「リーダーシップを持った名経営者」といわれただろう。
「終わりよければすべてよし」か、晩節を汚したといわれるか、組織のトップの評価は最後までむずかしい。棺(ひつぎ)を蓋(お)うて事(こと)定まる、である。