【小松菜奈×川村元気】ザ・チェインスモーカーズ&コールドプレイ「サムシング・ジャスト・ライク・ディス」
曲は、勿論素晴らしいのだけれども、印象深いのは小松菜奈。
この娘は最近映画では、満島ひかりに続いてとても存在感のある演技をする女優。
モデルから始まったようだけど、今はもう女優と言っていいだろう。
不思議な存在・・・。
なんか巫女さんみたい。
どちらか分からないけれど、両親のひとりが沖縄出身らしい。
満島ひかりと印象が似ていると思ったのはそのせい?(満島ひかりは厳密に言えば、奄美の血が流れているのだが)
なお、この娘自体の出身地は私の地元。首都圏内の田舎県。
両親は沖縄と佐賀らしいが、どうして東京でなくわたしんとこ?
想像してみるとなんか一本の小説が書けそうです。
パンタ - 屋根の上の猫 PANTA - yanenouenoneko プラハからの手紙
当時、頭脳警察のころからみると「なるくなったな~」と思ったPANTAだったけど、今聴くとさにあらず。
非常に挑戦的な曲だ。
あのとき、PANTAの”進化”とみるべきだったのかもしれない。
非常に沁みるロックである。
小説 Aくんのこと、忘れられない私と
昔むかし、中学時代にAくんという私の友人がいた。
小学校時代からの友人で、とくに身体が悪いようにみえなかったのだが、とにかく華奢だった。
走るのは女走りだったし、とにかくよく転んだ。なにしろ「膝かっくん」程度で大げさな転び方をするのだ。
でも、そんな彼をだれも馬鹿にしなかった。
いつ何時も彼は真剣だったし、なんというかそういうことが彼のキャラクターとしてみんな見ていたからだ。
彼の家はそれほど裕福といえない家だと思う。
父親はすでに遺伝的な病気とかですでに亡くなり、母親ひとりでAくんと彼の姉を育てていたからだ。
中学に入り、さして入りたい部活もなかった私は、休部していた柔道部を何人かの友人たちと立ち上げた。
その中にAくんがいた。
最初、私は「Aくんが?」と思い心配したが、彼はともかく強くなりたい気持ちがあると聞いて、ならいいかなという気持ちになった。
柔道経験者の顧問がつき、部が再開して半年が過ぎるとほとんどの生徒がいっぱしの柔道部員といえるようになった。
でも、Aくんは受け身はある程度できるが、投げ技についてはさっぱりで、しかも誰と組んでもいつも一瞬のうちに投げられた。
一年経ったころには、受け身は完璧になったが、やっぱり投げられていた。
そうしていつのまにか、彼の役目は調子が整わない部員の相手役、つまり投げられ役として定着していった。
三年生になり、私達は地区大会を勝ち抜き、県大会に出場することが決まった。
私はその大会のメンバーに選ばれていたのだが、三年生になってからどうにも技が決まらなくなっていき、焦っていた。
今考えるとそれは当然で、二年生までは私は背も高くその有利さを使って技を掛けていた。だから皆がおなじくらいの身長になれば、そんなことは通用しない。
でも当時の私はプライドも高く、選手に選ばれたこともあってそれに気付かなった。
それで調子を取り戻そうと、Aくんを練習の相手に選んだのだった。
多分放課後、二人で一日三十分、三日間ほど練習していたと思うのだが、やっぱりAくんは投げられ役で、最初は私も気持ちよく投げられてくれるAくんに感謝していたのだが、三日目には何故かそれが腹だしくなっていた。
そして、放課後練習が終わりにさしかかるころ、つい言ってしまったのだ。
「お前こんなに投げられて悔しくないの?三年間もさ」
私ははっとしたが、それに対するAくんの言葉はなかった。
無表情で目だけが私をじっと見ていたように思う。
「もう終わりにしよう」
私はため息をつき、それからゆっくりと片付けをして、Aくんと生暖かい夜の風を受けながら一緒に帰った。
県大会、チームは初戦落ちだった。
私の相手は160センチくらいだったので、なめてかかったら一瞬のうちに一本背負いで一本負け。
わずか10秒くらいの出来事だっただろうか?
ともかくこれでもう柔道はいいやと思った。
中学を卒業し、高校に入ってしばらくしたときだった。
ある日姉と友人の話になった。
そのとき何の気なしに、でも少し戸惑っている風に姉はこう切り出した。
「ねえ、Aくんって中学の時同じクラブだったの?」
「ああ、そうだけど何で知ってるの?」
「お姉さんがね、私の友人」
「へえ、そうなんだ」
「でね、Aくんお姉さんにこう言ってたらしいよ」
「なんて?」
「・・・・からくが俺を馬鹿にしてるって。笑いながら俺を投げるんだって」
その言葉を聞いて私は何のことかをすぐに理解した。
あの言葉か・・・・。
姉は気にしないでと別の話に切り替えたが、私はその後現在に至るまでそのことを忘れることが出来なかった。
Aくんは22くらいの時だったか、筋ジフトロフィーという筋肉が衰えていく病気で亡くなった。
どうやら彼はそういう運命だということを父親が亡くなったときから分かっていたようだ。
華奢な身体、・・・膝かっくんにも弱い身体。
私はその一年位前に別の友人から、入院していることを聞いていた。でも行こうと思っても姉から聞いた言葉がひっかかって、ついに見舞いに行かなかった。
通夜にも葬儀にも行かなかった。
別に彼が嫌っているからといって彼のことが嫌いというわけではない。
なぜか行けなかった。行ってはいけないと思った。・・・・理由もなく。
今、私はそんなことを思い出しながら、自分自身に「何故?」と問いかけをしている。
分からない。
夜中の3時。
私はこうして眠れずにいる。
ごめんな、・・・・・・Aくん。
曲は、勿論素晴らしいのだけれども、印象深いのは小松菜奈。
この娘は最近映画では、満島ひかりに続いてとても存在感のある演技をする女優。
モデルから始まったようだけど、今はもう女優と言っていいだろう。
不思議な存在・・・。
なんか巫女さんみたい。
どちらか分からないけれど、両親のひとりが沖縄出身らしい。
満島ひかりと印象が似ていると思ったのはそのせい?(満島ひかりは厳密に言えば、奄美の血が流れているのだが)
なお、この娘自体の出身地は私の地元。首都圏内の田舎県。
両親は沖縄と佐賀らしいが、どうして東京でなくわたしんとこ?
想像してみるとなんか一本の小説が書けそうです。
パンタ - 屋根の上の猫 PANTA - yanenouenoneko プラハからの手紙
当時、頭脳警察のころからみると「なるくなったな~」と思ったPANTAだったけど、今聴くとさにあらず。
非常に挑戦的な曲だ。
あのとき、PANTAの”進化”とみるべきだったのかもしれない。
非常に沁みるロックである。
小説 Aくんのこと、忘れられない私と
昔むかし、中学時代にAくんという私の友人がいた。
小学校時代からの友人で、とくに身体が悪いようにみえなかったのだが、とにかく華奢だった。
走るのは女走りだったし、とにかくよく転んだ。なにしろ「膝かっくん」程度で大げさな転び方をするのだ。
でも、そんな彼をだれも馬鹿にしなかった。
いつ何時も彼は真剣だったし、なんというかそういうことが彼のキャラクターとしてみんな見ていたからだ。
彼の家はそれほど裕福といえない家だと思う。
父親はすでに遺伝的な病気とかですでに亡くなり、母親ひとりでAくんと彼の姉を育てていたからだ。
中学に入り、さして入りたい部活もなかった私は、休部していた柔道部を何人かの友人たちと立ち上げた。
その中にAくんがいた。
最初、私は「Aくんが?」と思い心配したが、彼はともかく強くなりたい気持ちがあると聞いて、ならいいかなという気持ちになった。
柔道経験者の顧問がつき、部が再開して半年が過ぎるとほとんどの生徒がいっぱしの柔道部員といえるようになった。
でも、Aくんは受け身はある程度できるが、投げ技についてはさっぱりで、しかも誰と組んでもいつも一瞬のうちに投げられた。
一年経ったころには、受け身は完璧になったが、やっぱり投げられていた。
そうしていつのまにか、彼の役目は調子が整わない部員の相手役、つまり投げられ役として定着していった。
三年生になり、私達は地区大会を勝ち抜き、県大会に出場することが決まった。
私はその大会のメンバーに選ばれていたのだが、三年生になってからどうにも技が決まらなくなっていき、焦っていた。
今考えるとそれは当然で、二年生までは私は背も高くその有利さを使って技を掛けていた。だから皆がおなじくらいの身長になれば、そんなことは通用しない。
でも当時の私はプライドも高く、選手に選ばれたこともあってそれに気付かなった。
それで調子を取り戻そうと、Aくんを練習の相手に選んだのだった。
多分放課後、二人で一日三十分、三日間ほど練習していたと思うのだが、やっぱりAくんは投げられ役で、最初は私も気持ちよく投げられてくれるAくんに感謝していたのだが、三日目には何故かそれが腹だしくなっていた。
そして、放課後練習が終わりにさしかかるころ、つい言ってしまったのだ。
「お前こんなに投げられて悔しくないの?三年間もさ」
私ははっとしたが、それに対するAくんの言葉はなかった。
無表情で目だけが私をじっと見ていたように思う。
「もう終わりにしよう」
私はため息をつき、それからゆっくりと片付けをして、Aくんと生暖かい夜の風を受けながら一緒に帰った。
県大会、チームは初戦落ちだった。
私の相手は160センチくらいだったので、なめてかかったら一瞬のうちに一本背負いで一本負け。
わずか10秒くらいの出来事だっただろうか?
ともかくこれでもう柔道はいいやと思った。
中学を卒業し、高校に入ってしばらくしたときだった。
ある日姉と友人の話になった。
そのとき何の気なしに、でも少し戸惑っている風に姉はこう切り出した。
「ねえ、Aくんって中学の時同じクラブだったの?」
「ああ、そうだけど何で知ってるの?」
「お姉さんがね、私の友人」
「へえ、そうなんだ」
「でね、Aくんお姉さんにこう言ってたらしいよ」
「なんて?」
「・・・・からくが俺を馬鹿にしてるって。笑いながら俺を投げるんだって」
その言葉を聞いて私は何のことかをすぐに理解した。
あの言葉か・・・・。
姉は気にしないでと別の話に切り替えたが、私はその後現在に至るまでそのことを忘れることが出来なかった。
Aくんは22くらいの時だったか、筋ジフトロフィーという筋肉が衰えていく病気で亡くなった。
どうやら彼はそういう運命だということを父親が亡くなったときから分かっていたようだ。
華奢な身体、・・・膝かっくんにも弱い身体。
私はその一年位前に別の友人から、入院していることを聞いていた。でも行こうと思っても姉から聞いた言葉がひっかかって、ついに見舞いに行かなかった。
通夜にも葬儀にも行かなかった。
別に彼が嫌っているからといって彼のことが嫌いというわけではない。
なぜか行けなかった。行ってはいけないと思った。・・・・理由もなく。
今、私はそんなことを思い出しながら、自分自身に「何故?」と問いかけをしている。
分からない。
夜中の3時。
私はこうして眠れずにいる。
ごめんな、・・・・・・Aくん。