からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

感動で泣けるCM集 パナソニック篇

2018-03-14 | 音楽
感動で泣けるCM集 パナソニック篇


泣い・・・・・た・・・・・。

最近こういうCMないな。

3つめかな、スズメがでてくるやつ、モト冬樹さんのけがしたすずめを飼って行政指導?ってニュースを思い出した。

みんな余裕がないのかもしれない。

そう思いました。



米津玄師 MV「Lemon」


この人の曲は、というか声なのかもしれないが、何処か心振るわせる波みたいなものがあるような気がする。

その波を受けた者は、感動、というものではなく、心の中心がざわつく感じ。

残念なのは少し曲のパターンが見えてきたような気がするとこ。

大きな才のある人だと思うので、どこかで「進化」というものを見せて欲しいなぁ。
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矢野顕子 小田和正 中央線

2018-03-13 | 音楽
矢野顕子 小田和正 中央線


前にThe Boomのオリジナルをアップしたけど・・・。

これもいいですね。

あらためて歌が上手いことがアーチストにとって武器になるということが分かりました。


黄色い涙  小掠佳


小掠佳、いくど~!

5月19日、地元の神社の歌舞伎殿(っていうのかな?)でコンサートやるので。

カミさんが珍しく行きたいと言ってきたのでね。

歌舞伎の舞台以外は屋根なしの観客席なのでね、雨が心配!

てるてるぼうずさま~、おねげえでごぜえますだ。

って、二か月も前から願っても無駄か!?

まあ、チケットが無駄にならないように、ね。(*^^)v

風になったんだ〜東京マラソン2010〜/レバ


ここのところ少し暗い曲ばかり紹介していたような気がするので、少しほっとする曲を。






電車の中、向かい側の席に親子が座っていた。

母親と5歳?くらいの女の子。

見てたらその子が気が付いたようなので手を軽く上げて笑いながら振ってみた。

すると今度は母親が気づいて、娘を庇うように引き寄せて、こちらを汚いようなものを見るように少し背を斜めに反らせ、キッとね!

そりゃないぜ、母ちゃん。

で、私は席を移りました。別に悪いことしてないのに・・・・。

いやな渡世だな~。です。"(-""-)"
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愛する人に歌わせないで 森山良子 1968

2018-03-12 | 音楽
今日は私の音楽のルーツを語りましょうか。

下の三曲は幼い頃、長兄(11歳違い)が持っていたレコードを聴いて、子守り歌代わりにしていた曲たち。だから多分、ポップス・ロックとしては一番最初に触れた音楽。プレイヤーは東芝?のポータブルプレイヤー。

小学校に入る前だったか?特にハッシャバイはこの何年かあとに、クリス・ミッチャムの主演映画で彼が歌っていてさらに印象深い曲になった。


愛する人に歌わせないで 森山良子 1968


【歌えるオールディーズ 40】 ハッシャバイ (ピーター・ポール&マリー)


The Walker Brothers - In My Room


あと二曲、早川義夫さんとモップスは、自分が初めてリアルタイムで聴いて初めて刺激を受けた曲ですね。

早川さんはラジオから流れていた。(「もとまろ」というグループの版が一番ヒットしたというが、私はもとまろ版は知らなかった)

モップスはテレビにかぶりついて観て、聴いてた。


サルビアの花 早川義夫


MOONLIGHT MASK(月光仮面のおじさんは誰でしょう) - The Mops


こうやって並べてみると、早川義夫さんとモップスとの出会いが、その後の私の音楽人生の方向性を決めたのかもしれません。





さて、ちょっとだけ政治の話。

テレビを観ていて日本の政治家の醜さが浮きぼりになったような気がした。

全部理財局と佐川氏の責任?

そうだとしても、一般企業だったら社長は管理責任を問われて辞めるし、役員だって処罰されるでしょ?

潔くない!

器がね、小さいや・・・。

圧力、圧力って言って、言い出しっぺのアメリカに裏切られるし・・・。

大体アメリカに裏切られたらどうするんだって声も以前からあったのに、無視・無視・無視。

恥ずかしいぜ。


まあともかく佐川氏が心配だ。

圧力をかけられて、変な事しなきゃいいけど・・・。
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【東日本大震災】日本がシンディーを愛する理由 Japanese Version 2

2018-03-11 | 音楽
【東日本大震災】日本がシンディーを愛する理由 Japanese Version 2


Kado Jun 「天体観測2」【歌詞】【クラソラ】


今日はこの2曲。

よいね・・・。

それ以上はなにも言えないのだ。

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【小松菜奈×川村元気】ザ・チェインスモーカーズ&コールドプレイ「サムシング・ジャスト・ライク・ディス」

2018-03-10 | 音楽
【小松菜奈×川村元気】ザ・チェインスモーカーズ&コールドプレイ「サムシング・ジャスト・ライク・ディス」


曲は、勿論素晴らしいのだけれども、印象深いのは小松菜奈。

この娘は最近映画では、満島ひかりに続いてとても存在感のある演技をする女優。

モデルから始まったようだけど、今はもう女優と言っていいだろう。

不思議な存在・・・。

なんか巫女さんみたい。

どちらか分からないけれど、両親のひとりが沖縄出身らしい。

満島ひかりと印象が似ていると思ったのはそのせい?(満島ひかりは厳密に言えば、奄美の血が流れているのだが)

なお、この娘自体の出身地は私の地元。首都圏内の田舎県。

両親は沖縄と佐賀らしいが、どうして東京でなくわたしんとこ?

想像してみるとなんか一本の小説が書けそうです。


パンタ - 屋根の上の猫 PANTA - yanenouenoneko  プラハからの手紙


当時、頭脳警察のころからみると「なるくなったな~」と思ったPANTAだったけど、今聴くとさにあらず。

非常に挑戦的な曲だ。

あのとき、PANTAの”進化”とみるべきだったのかもしれない。

非常に沁みるロックである。



小説 Aくんのこと、忘れられない私と

昔むかし、中学時代にAくんという私の友人がいた。

小学校時代からの友人で、とくに身体が悪いようにみえなかったのだが、とにかく華奢だった。

走るのは女走りだったし、とにかくよく転んだ。なにしろ「膝かっくん」程度で大げさな転び方をするのだ。

でも、そんな彼をだれも馬鹿にしなかった。

いつ何時も彼は真剣だったし、なんというかそういうことが彼のキャラクターとしてみんな見ていたからだ。

彼の家はそれほど裕福といえない家だと思う。

父親はすでに遺伝的な病気とかですでに亡くなり、母親ひとりでAくんと彼の姉を育てていたからだ。


中学に入り、さして入りたい部活もなかった私は、休部していた柔道部を何人かの友人たちと立ち上げた。

その中にAくんがいた。

最初、私は「Aくんが?」と思い心配したが、彼はともかく強くなりたい気持ちがあると聞いて、ならいいかなという気持ちになった。

柔道経験者の顧問がつき、部が再開して半年が過ぎるとほとんどの生徒がいっぱしの柔道部員といえるようになった。

でも、Aくんは受け身はある程度できるが、投げ技についてはさっぱりで、しかも誰と組んでもいつも一瞬のうちに投げられた。

一年経ったころには、受け身は完璧になったが、やっぱり投げられていた。

そうしていつのまにか、彼の役目は調子が整わない部員の相手役、つまり投げられ役として定着していった。


三年生になり、私達は地区大会を勝ち抜き、県大会に出場することが決まった。

私はその大会のメンバーに選ばれていたのだが、三年生になってからどうにも技が決まらなくなっていき、焦っていた。

今考えるとそれは当然で、二年生までは私は背も高くその有利さを使って技を掛けていた。だから皆がおなじくらいの身長になれば、そんなことは通用しない。

でも当時の私はプライドも高く、選手に選ばれたこともあってそれに気付かなった。

それで調子を取り戻そうと、Aくんを練習の相手に選んだのだった。

多分放課後、二人で一日三十分、三日間ほど練習していたと思うのだが、やっぱりAくんは投げられ役で、最初は私も気持ちよく投げられてくれるAくんに感謝していたのだが、三日目には何故かそれが腹だしくなっていた。

そして、放課後練習が終わりにさしかかるころ、つい言ってしまったのだ。

「お前こんなに投げられて悔しくないの?三年間もさ」

私ははっとしたが、それに対するAくんの言葉はなかった。

無表情で目だけが私をじっと見ていたように思う。

「もう終わりにしよう」

私はため息をつき、それからゆっくりと片付けをして、Aくんと生暖かい夜の風を受けながら一緒に帰った。


県大会、チームは初戦落ちだった。

私の相手は160センチくらいだったので、なめてかかったら一瞬のうちに一本背負いで一本負け。

わずか10秒くらいの出来事だっただろうか?

ともかくこれでもう柔道はいいやと思った。





中学を卒業し、高校に入ってしばらくしたときだった。

ある日姉と友人の話になった。

そのとき何の気なしに、でも少し戸惑っている風に姉はこう切り出した。

「ねえ、Aくんって中学の時同じクラブだったの?」

「ああ、そうだけど何で知ってるの?」

「お姉さんがね、私の友人」

「へえ、そうなんだ」

「でね、Aくんお姉さんにこう言ってたらしいよ」

「なんて?」

「・・・・からくが俺を馬鹿にしてるって。笑いながら俺を投げるんだって」

その言葉を聞いて私は何のことかをすぐに理解した。

あの言葉か・・・・。

姉は気にしないでと別の話に切り替えたが、私はその後現在に至るまでそのことを忘れることが出来なかった。


Aくんは22くらいの時だったか、筋ジフトロフィーという筋肉が衰えていく病気で亡くなった。

どうやら彼はそういう運命だということを父親が亡くなったときから分かっていたようだ。

華奢な身体、・・・膝かっくんにも弱い身体。

私はその一年位前に別の友人から、入院していることを聞いていた。でも行こうと思っても姉から聞いた言葉がひっかかって、ついに見舞いに行かなかった。

通夜にも葬儀にも行かなかった。

別に彼が嫌っているからといって彼のことが嫌いというわけではない。

なぜか行けなかった。行ってはいけないと思った。・・・・理由もなく。


今、私はそんなことを思い出しながら、自分自身に「何故?」と問いかけをしている。

分からない。


夜中の3時。

私はこうして眠れずにいる。

ごめんな、・・・・・・Aくん。





コメント (4)
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