そらいプロジェクト。

そらイのなすこと、思うこと。

近代産業革命のその先が霧の中のようです。

2011年04月23日 13時26分47秒 | 努力し続けるために
みなさまおはよございます。2011年4月23日、平成23年4月23日の土曜日となっております。この土日でいくつかの仕事の総仕上げができればいいと思っております。昨日の夜は、いまかかえている仕事をこなせるか、潰れてしまいはしないか、恐ろしくなったものでした。この土日で一つでも終着駅のホームが見えてくるところまで、進めて行けたら・・・お、何だかんだでお昼前となっておりました。あ、13:30でしたか・・・

最近ラジオで聞いたのは、どうやら現代社会の問題は、産業革命の頃から始まっているようで、歴史の教科書の分類によれば、市民革命と産業革命のころからとなっております。主婦という地位が誕生したのもこのころらしいです。アン・オークレーの家事の社会学によれば、なんでもフランス革命の頃に生まれた子で産んだ母親に育てられたのは7%?・・・数%に過ぎなかったとのことでした。主婦が何かいけないものなのでしょうか。いやそういう話ではなかったように記憶しています。何か現代人の意識や家族のあり方などは、産業革命の頃にできあがったものであると言う話だったと思います。ただその頃のパリ市民が全体的には貧しかったため、生みの親が育てることができないケースの方が多かったというに過ぎない気もしますが、私にはよくわかりません。

また、ルイスフロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』など見ると、ヨーロッパ社会は家父長制が強烈で、妻は夫の承諾なしに外出できなかったり、離婚は罪であった西洋に比べ、日本では妻は夫の承諾なしに外出もするし、妻が夫に利子を付けてお金を貸すこともあり、三行半で離婚・再婚することに罪悪感はなかったらしいです。日本の男尊女卑は武家社会のなごりで、、、云々とのことでした。

視点や観点は相対化されるものですね。相対化した上で「自分はどうするのか」決断してゆくとよいのでしょう。

最近読んだ本によれば、科学もこれまでの「近代科学」はちょっと古くなってきているようでした。主体=観察者と客体=観察対象に切り離し、測定し、因果関係をあってはめて検証し、、、「徹底的に分析していった結果、その向こうに見えてきたのは、すべてを一つの要素に還元する世界ではなく、、、」、新しい科学の考え方に気づき始めているとのことでした。発話者は、発話内容と切り離すことのできない存在であり、歴史も歴史の流れの中にいる者が研究するものなので、常に不完全ということもあるとか・・・そんな話もラジオでしていました。

もう一段階、次のステップが科学技術の分野で進んで、それが生活のあらゆる部面に行き渡り、、、となりますと、世界の歴史全体が一歩進むのでしょう。


さて最近、あったこともない方から、家に誰もいなくて寂しい、と電話があります。着信番号から「ああ君か~」と話をして差し上げています。子どもの声です。お父さんとお母さんに置き手紙でもしたらどうかと提案したり、野良猫やら野鳥やら、いまころはツバメも飛んで、親ツバメが巣で口を開けて待っている子らにエサを届けている様子、折々に咲く花など見て図鑑で調べてみたらどうかと提案したりしています。動物園など行ってみるのも気晴らしによいと伝えてみました。寂しさを心にため込むことなく、健やかに育ってくださればよいですが・・・


あ、なにやらとりとめもなく、、、仕事しましょう。

本日も宜しくお願い致します。

※写真は、東部地蔵