そらいプロジェクト。

そらイのなすこと、思うこと。

更科紀行

2011年12月12日 09時23分25秒 | 努力し続けるために
みなさまこんちには。2011年の12月12日となっております。ちょっとずつ、私の場合、土曜日も日曜日もないのだと、それでよいのだと、思うようになりつつあります。夜20:00や21:00となりますと、次の日がキツイので休むようにしています。時間を作るにはどうしたらよいのか、他の誰かのやり方ではなく、自分のやり方というものがあるようなので、探しています。

聞いた話によると、最初に時間について、誰の目にも明らかで客観的な1日の時間を計ったのは、13世紀のことで、1日を24等分した時刻を示し、1分たりとも遅刻せず礼拝をしたいと考えたベネディクト修道院の修道士たちだったそうです。話の題材となっている本には「それ以前、それ以外の地域では、不定時法といって、夜明けから日没までを適当な数で割って1時間を決めるというような時間の測り方をしていました。」とあります。そもそも心理的時間というのもあるので、機械式時計による客観的基準の設立が、人間精神に与えた影響は大きいという話です。

「心」と呼ばれているものについて、魂(ソウル)、精神(スピリット・息)、心臓(ハート)、記憶(マインド)など多岐にわたる呼び名があるといった話もありました。「心」という場合「感情」のことを言うことが殆どのように思います。「精神分析」は原語的には「心の分析」と訳した方が正しいとの話でした。

松尾芭蕉の更科紀行の冒頭も、ラジオで流れていました。「さらしなの里、姨捨(おばすて)山の月見んこと、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて、ともに風雲の情を狂すもの又ひとり、越人と云。木曾路は山深く道さがしく、旅寐の力も心もとなしと、荷兮子(かけいし)が奴僕(ぬぼく)をして送らす。おのおの心ざし尽すといへども、駅旅の事心得ぬさまにて、ともにおぼつかなく、ものごとのしどろにあとさきなるも、なかなかにおかしき事のみ多し。」とのこと。学校時分の私には「奥の細道」は今ひとつピンと来なかったものでしたが「奥の細道」よりもわかりやすく、またこれによって「月日は百代の過客にして・・・」が分かってくるように思われます。更級日記とは違います。更級日記とは・・・何だったでしょうか・・・。更科と更級も違いますね・・・。検索してみると、更科でも更級でもどっちでもいいようです。更科紀行について、ラジオで聞いた話から検索してみると、以前引用した笠張りの句など掲載しているサイトもあり、面白いものです。木曽路もいろいろ知ってから行くと違うのでしょう。

「風雲の情狂すもの」というので、やはり「徒然草」の「あやしゅうこそものぐるおしけれ」は、何か探求心のようなものがわきあがる、良い意味での、普通の日常生活からしてみれば余計なもだったりするので、、、微妙な表現です。

さて13:00となります。徒然なるままでした。
仕事はしっかり。引き続き宜しくお願い申し上げます。

※写真は、2011.12多摩中央公園