児童虐待のなか、
笑う真似をすることで
(実際に出る脳内麻薬によって)
どうにかしのいできた男の子。
ために負った心の傷と
看病との二重苦のなかで
客呼びの仕事をして食いつなぐが、
そもそも生きたいとも思われず、
病状も貧困も改善せず。
まあ改善しないとしても、
そういう状態に恒久的にあれば、
昨日を明日に続けられるんですが。
それじゃあドラマにならないので、
心境の変化とやらを導入するんで。
殴られ続けてる奴に最も効くのは、
拳ではなく優しさだってのは、
物書きの世界では王道なんで。
歯抜けの歯車に
これまでないものが挟まる。
すると動き出すわけです。
暴力の方向へ動くのも、
王道の展開ですね。
そういう基本に忠実な
フィルムドラマでした「ジョーカー」。
2019年っていう、
アメリカ大統領選の前年
に公開されて、
話題をかっさらったこの作品は、
かねて気になってはいたんですが。
「視る」暇がなくて。
今になってようやっと、
ネットにあがってるトレイラーだけ。
事件後のやつは沢山あるけど、
事件以前の、前置きの部分のは
興味持たれなかったみたいで、
数本しかなかったねぇ……
口コミやら
善良な市民が殺人鬼に!なんていう
邦訳の触れ込み
(↑↑↑間違ってること多い)
からは、世の不幸を描きたいのか、
この世を断罪したいのかと思って、
トレイラー観たわけですけれども。
うそばっかで(笑
そういう基本に忠実な、
机上の不幸な男性像と、
あまりにも王道の展開過ぎる
沢山の事件の寄せ集めで。
個人の不幸とかこの世の断罪とか
そんなものとはほど遠いドラマが
展開されてただけでした。
それをマスコミがもてはやし、
トランプさんが後押しした。
なんて動きまでが
ネットに書いてある。
その先に例の暴動を見るのは
無理もないなぁと。
途方もない歪みを抱える
アメリカ。
噴火したいという気迫が
常に満ち満ちているお国柄。
このフィルムドラマが
一部の、いや、多くのだな。
多くの国民に支持される基礎はもう
できていたということだなぁ……
まだ「バニーマン」のほうが
素直でよくね?みたいな(笑
ガキのころヒトに虐待されたから、
成長してからもヒトに恐怖し
その恐怖を最も純な方法で
解消しようとする。
それだけのストーリーです(笑
でもそれじゃ使えないわ。
多くの国民が、自分の姿を
バニーマンに重ねることはないねぇ。
社会的な重苦を負わないバニーマンは、
今もどこかにあるという
人跡未踏の原住民らとかわらない。
今風に言うなら、
異世界から来たケモノですわ。
それじゃ使えないわけです。
「ジョーカー」は、
バットマンのジョーカーの評判を、
「名前だけ受け継ぐ」ことで
自分の前評判とした。
まあそれだけならば、
僕はこんな記事を
書かなかったけどね。
このフィルムドラマの
許し難いところは、
チャップリンのイメージを
作中にチラつかせたことです。
チャップリンの作品も
日本で言う「駄菓子」
みたいなものだけどね(笑
「スマイル」の使いかたも
間違ってないんだけどさ。
心が壊れ引き裂かれても、
微笑めば何とかなる。
そんな歌詞です「スマイル」。
そしてそんな歌を口ずさまないと、
やってらんないこの世界です。
しかし残念ながら、
「ジョーカー」は失敗している。
そんな台詞じゃ入っていけないよ。
英語版からもうダメです。
俺はみんながなぜこんな
やくざなのか分からない。
その台詞はそこでそんな言いかたで
使うもんじゃない。
もったいないなぁと思ったわ。
本人にとってたぶん
一番ストレートな話題。
それをただ、
暴力シーンへの橋渡しに
使ってしまうなんてなぁ……
持っていくとすれば、
例えば、カウンセラーとの
最後の対話の場面かな。
アーサーにとってそのくらい
深みのある台詞ですよ。
橋渡しには、
生きるより死んだほうがマシ
って刹那的な台詞のほうを
使うべき。
そういう作品が
チャップリンをチラつかせるのは、
僕に言わせればね。
誰かの気を引きたいなら、
その誰かよりもちょっと上か下の
人物を設定しないとさ。
同等じゃ嫌味でしかない(笑
それが幸いしてか、
あの程度の暴動で済んだのかもな。
ところで、やっぱ、
バットマンのジョーカーは
面白いね。
あの茶目っ気が、
こちらの「ジョーカー」には無いのも、
観客が疲れた原因だろうさ。
「ジョーカー2」は酷評だらけ
らしいけどね。
役割を終えた道具を消しにきてる
なんてことも、
そういうことならば
無いわけじゃないなぁと。