札幌のとあるお店にあった、
面白い楊枝入れの動画です。
原理が分からん(笑
こういうハンドメイドな
遊び心には、もうなかなか
出会わなくなったなぁと。
札幌のとあるお店にあった、
面白い楊枝入れの動画です。
原理が分からん(笑
こういうハンドメイドな
遊び心には、もうなかなか
出会わなくなったなぁと。
日が暮れたら戻ろうと。
どうせ一本道。
Uターンすれば、おのずと戻る。
この道もまた
道内どこへでも続く幹線に
接続しているのだが…
それは許されない。
日が暮れるまでに走れる距離は、
決まっている。
かすかに灯油の臭いがする。
振り向けば、
ぽつりぽつりと窓に、
明かりが灯っている。
そのぬくもり。
間もなく、たぶん来週末にも、
ここらは真っ白になるだろう。
それでも僕は走るだろう。
そして戻るほかない。
コンビニでホットコーヒーを買い、
宿舎に戻るべき道を、
曲がってしまい…
そのまま走ること半時あまり。
この雑草生い茂る草原に混じって、
この月を観ています。
あゝ、
宿舎(宿屋だけど)の門限が。
もうこんなところにいたくない…
なにこのカワイイの(笑
僕、こういうのって、
フタ開けたくない(笑
こんな事できるから、
セブン同様、
仲間はずれにされるんだなぁ……
僕はこれからも、
選べるなら、クロネコ使うわ。
この前、横浜に
行ってきたわけですが。
行きの飛行機が
揺れて揺れて(笑
窓の景色はスマホに任せて、
じっと座席に身を寄せてました。
んで、
今になって見返してみると、
(雨)雲が3層になってて、
面白いなと。
離陸後まもなく。
下(地上スレスレ)の雨雲
の上にもう1層の雲。
空の青さは、ほとんど見えない。
しかし、
その2層目の雲を出ると、
カラリとした
秋晴れみたいな雲が現れ。
その秋晴れみたいな雲を出ると、
もはや雲は存在せず、
青空は黒に近づく。
水の形態波によって
氷が青く見えるように、
空の青さはこの
3層の雲らにある水分が
演出して見せているのかしら。
水の惑星とか言われる地球。
だったらもう、
3層の雲を抜けた
ここからは、宇宙と
呼んでいいのではなかろうか。
飛行機に乗るたびに、
思わず知らず、
宇宙旅行していたわけだな。
今年は少し早いのか、
ふと見上げれば、
ナナカマドの実が赤くなって。
毎年、
早く赤くならないかなと、
チラ見しては、まだ青いなと、
溜め息つくんだけど。
そして毎年、
気づくともう真っ赤になってて、
青から赤への変遷を見ずに
終わってしまうという(笑
電子ペーパーみたいに
クルンと回って色が変わるのか
と思うくらい。
この道北ジャングルへ
派遣されてからというもの、
この実の赤くなるのが
待ち遠しいと思うようになった。
札幌じゃ、この木自体を、
気にしたこともなかったねぇ……
この実が赤くなる10月には、
出張を終えて札幌へ帰るための
残務整理にとりかかるんです。
だからこの実が赤くなるのは、
もうすぐ故郷へ帰れる……
だけど、
道北も、なかなかよかったなぁ。
ここには自由がいっぱいある。
野性的な自由がね。
都会の自由もいいけど、
ここの自由もいいなと
出張のお陰で気づけたわ。
この会社が来年もあるのか、
僕自身この会社にいるのか
どうか分からないけど。
来年もまたここへ来て、
うん、春夏くらい、
住んでもいいなって気持ちが
今、確かにあるわ。
この会社も、
ある日突然、売りに出されて、
少しはマシな会社になる
かも、しれないじゃない?
明日のことは分かんないよ。
そうなったら、
完全週休2日を条件に、
ここの配属になってもいいなぁ。
今後も音威子府から
特急1本で札幌へ
帰れるだろうしさ。
なんてことを、
一服つけながら考えてました(笑
北海道ではありがちな
支笏(しこつ)火山由来の
軽石を含む堆積物。
およそ4~5万年の昔の
できごとを伝えているそうで。
右下の軽石で幅10センチ内外。
こんなものが無数に、
空高くから降り注ぐんですから。
軽いって言ったって石は石。
当たれば痛いし、たぶん火傷する。
支笏湖ってのは、
札幌(の高い建物)から見える
カルデラ地形にできた湖です。
その昔は死骨なんていう
縁起でもない字が使われてました。
このときの噴火で、
北海道はほぼこの火山灰に埋まり、
陸地の様子(植生とかも)が
様変わりしたとか。
この大噴火の前後から、
北海道では人骨が確認されてるそうで。
その後滅んだ形跡がないようなので、
4~5万年くらい前から、
北海道の気候はまあ安定したのかなと。
南海地震の数百年どころじゃない。
もう4万年経ってるわけです。
その前の大噴火は、
地球の感覚ではこの前(1970年代)に
大きな噴火をした有珠山で知られる、
洞爺(とうや)湖。
支笏湖のよりもデカい火山が
当時はあったようで。
それが完全に消し飛んで、
今の洞爺湖になりました。
G7の会場と言えば、
お分かりいただけるだろうか。
こちらは風向きの関係なのか、
はたまた当時の陸地の具合からか、
北海道よりはむしろ
東北や関東方面に火山灰が残ってて、
今でもその地層を確認できる。
11万数千年くらい前だったかな?
全国はおろか海外からも
存在の報告がある。
その2万年くらい前には、
道東のクッチャロ湖ができ
(道北のじゃなく)、
また洞爺湖の2万年くらいあとには、
道南のクッタラ火山が大とは言わぬまでも
中噴火くらいしてる。
道内では割と特殊な火山なので、
火山に興味のあるかたは、
クッタラ火山から見るといいかも(笑
まあだいたい10万年があって、
支笏の5万年弱があって。
もうそろそろ来てもいい時期では
あるんですけれども。
それこそ南海地震みたいに、
そういう時期なんだけど来ない(笑
みたいな。
ほかの星は知りませんが、
この星の自然災害は、だいたい、
来るときは急に来るので。
直前まで何とも言えない(笑
このあいだ
横浜行ったときの写真、
上げたつもりが1枚
上がってなかったので(笑
羽田のトイレにバーンと
貼ってあった、このかた……
ピ、◯ーポ君!
ピー◯君って北海道の警察の
マスコットだと、
僕思ってたので。
羽田で見られるとは思わなかった
というお話。
このあと地下の丸亀製麺で
釜揚げ大を食べて
帰ってきたのでした。
ちょうど夕食時に
あたってしまい、
芋を洗うように客がいて、
それでも席はちゃんと空く。
丸亀マジック(笑
だけど薬味取るとこは
葱やら揚げ玉やら散らかってて、
雰囲気出てるなと(笑
昭和時代の飯場を思い出したわ。
ゴチャッとしてるけど、
何食っても大体美味い。
草履みたいなデカさの
薩摩芋の天ぷらが、
素うどんのトッピングの
一番人気だったなぁ。
とにかく朝飯をかき込んで、
仕事に出たものさ。
今にして思えば、
ガツガツ食えるってのが、
健康の証拠だったなと。
今でも時々、やってみるけど。
ブログに写真載せるためでもあり。
けど後半はもう、とにかく完食を
目指すだけになってます(笑
次の日は胃もたれで
朝から気力ダウーン⤵️
四十路の半ばからかな?
安くて沢山から、
美味しいものチョッとずつ
にシフトしましたわ。
おんなじ親子丼なのに、
コンビニ飯よか、
飯屋のほうが美味いのは
どうしてかと。
やっぱりね、
作るひとの気持ちが
反映するってのは、
あるんだなぁと。
この細い月を撮ろうとして、
どれだけ走っただろう。
街灯また街灯……
地球の自転の速さに驚きながら、
車で走ること半時あまり。
やっと街灯の無い所に出られて、
ギリギリ撮れたのがこの1枚。
スマホの画面から目を離すと、
月はもう、右の雲に隠れていた。
過去にはオーロラ撮ろうとして
難儀した記憶がある。
振り返れば、
胆振東部地震での
ブラックアウト in 札幌。
あの夜の、星空の素晴らしさは、
忘れられん……
ここに明かりをくれと、
頼んだ覚えはないが。
しかし確かに、
防犯上はありがたい。
馬鹿と一緒に暮らさなければ、
この明かりは要らないのさ。
しかしなんでか、
馬鹿と暮らすことになっている。
頭が悪いのバカではない。
なんでか、
生まれたら馬鹿と
一緒に生きることになっていた。
それ以外に選べなかった。
許されなかった。
以来僕はこの馬鹿のための世界で、
仮の人生を過ごしてきた。
やり過ごしてきたわ。
そんな時、
この世が終わると聞いたら……
もう忘れられないじゃない?
すべての間違いの元が終わる!
なんて都合よすぎと分かっていても。
あり得んわw
と、頭では理解していても、
ついにそこから離れることが
できなかった。
それ以外に解答はない。
あとはみな近似値。
僕は近似値で生きてきた。
夢を見た。
見続けるほかにないらしい。
この世の光の差さない所で、
自然っぽいものを空想して
慰みを得るのが僕の
日常となった。
忌まわしき星。
それが実際、動いているのを
目の当たりにして、
いい気分ではなかったねぇ……
ちょっと疲れたので、
ステラプレイスの休憩スペース
に腰かけて、
札幌エスタを眺めつつ。
賑わってたころを
思い出すねぇ……
いつも僕の人生の、
旅立ちと帰郷の場所だったわ。
今は見事なまでに
誰もいない。
その新鮮さ。
真夏の、
冷房もおざなりな車内に、
真っ赤なシートって、
どうなの?JR北海道……
しかし、そんなことより、
聞いてくれ >>1よ。
この前、横浜行ったんです。
横浜。そしたら、
AIRDO 格安航空のくせに、
羽田の空港ラウンジ使えるって
聞いたんです。
で、
混んでるの嫌なので
北の端っこにある
パワーラウンジ・ノース
で、現金払って、
初めてラウンジ入ったんですけど、
なんかもう、
ひとがムチャクチャ
いっぱいで
ほぼ座れないんです。
で、
やっとソファ席の端っこに
席を見つけて
座ったら、
なんかすっごい寒い。
上見たら、
冷房の吹き出し口あって、
直で風が当たるんです。
そりゃあ誰も座らんわな(笑
冷たい飲み物持ってきたけど、
入口のほうへ戻って
あったかい紅茶にした(笑
ソフトドリンクのみ無料です。
軽食とかは無し。
片側usb-Aの
ケーブル持ってたので、
コンセントある席で
スマホ充電できました。
そうこうするうちに、
だいぶ、はけてきて、
窓際の席で
飛行機の発着を眺めながら
マッタリ。
旅行いきてぇなあ……
羽田なら好きなとこ行ける。
なんてことを、
あの真っ赤な席で
思い返しておりました。
あの曲を思い出したわ(笑
必ず帰るから。
待ってろよ札幌。
テレビであまり見ない。
たぶん現地でもあまり見ない?
ホテルニューグランド。
みなさんコレは、
ご存知でしょう。
正面側の上にある
インカのレリーフみたいなの。
その足元(足なの?)の、
1927(年)の刻印。
震災で破壊された町の
目に見える復興の形として
建設が始まったその年
だそうで。
今は本館って言いますが、
当時はこの建物しかないから。
で、
このインカのレリーフ
みたいなやつ、
裏にもあるのご存じ?
中庭への入口の上にある。
この庭、
造り的には中庭なんだけど、
一部は通りに面してるから、
実は前庭なのかも?
こちらの数字は1992(年)。
タワー館の完成は1991年って
ネットには書いてあるけど……
開業がずれたんだろな。
実は近くに
ホテルニューグランド本館と
ほぼ同じころ開業した
バンド(=渚)ホテル
ってのがあったそうで。
その跡地も見てきました。
新規ホテルに客を奪われ、
とどめに高速道路で景観悪化。
よくさ、
新規ホテルが沢山建って
経営悪化って、あるじゃない?
新規ホテルが建たなくても、
経営は悪化したと思うんです。
窓のそとがダメになっても、
元から窓のそとなんて飾り。
それがもう、そうじゃなくなった。
ホテル側がどんなに頑張っても、
原因は別のところにあるから。
もうそれ以上は書きますまい。
さて、
まずは待望の昼寝(笑
本館シングルのベットで、
昔のひとがしたように、
僕も休みますわ。
それからナポリタンと
とあるケーキ。
まだあればいいけどなぁ…
僕が今回
この移動方法を選んだのは、
とにかく移動で疲れたくない
できる限りドアtoドアを
目指したからでした。
自宅から羽田空港まで。
羽田空港から
ホテルニューグランド本館まで。
札幌~ホテルニューグランドは、
それが出来る路線でした。
ひとたびJRに乗ってしまえば、
新千歳空港まで運んでくれて、
羽田からは京急バスが、
ホテルニューグランドの
玄関先まで運んでくれる。
もうね、
モノレールとかJRとかいう
時代じゃないんだなぁと
思いましたわ。
今もう、
飛行機と高速バスの時代。
行きのシップは
ポケモン♂仕様でした。
一番前の奴ムキムキだ(笑
台風4号がちょうど
東北に上陸してたころで、
千歳も雨模様。
そしてメッチャ揺れた。
帰りは台風7号。
2つの台風のギリギリ間をぬって
札幌に帰ってきた
スリリングな旅行でした(笑
心臓に悪いからホントやめて……
実は僕、
ここへ来てみるまでは
博物館があること知らなくて。
相変わらずグルグル、
迷いながら走ってた時(笑
道路の脇に
エコミュージアムの
ちっさい看板見て、
そっちへ走ってみたところ、
でっかい看板あって、
この建物に出たんで。
建物ってか、
小中学校の再利用だな。
あれれ?
閉館中??
でも明かりがついてるし、
自動ドアも開いたので
中へ。
入口で何事もなく
入館料を支払い、
静かで幻想的な館内へ。
うんなかなか、
展示資料は
いいもの使ってますねぇ。
学術的に貴重なのは
大事ですけど、
ボリューム感も大事だなと。
東大ほかへ
貸し出してる資料もあり。
普通、博物館って、
こういうのはラベルごと
バックヤードへ引っ込める。
でもここみたいに、
これも展示のうちとして
置いておくほうが
リアルで僕は好きです。
昔は、田舎臭いとこが、
こういうのだった。
そんなイメージを
今時の博物館は嫌がる。
でもあれが、
客との距離が一番近い
博物館の姿だったなと
今にして思えば……
このすごい数の展示品を
よくここまでスッキリと
まとめたもんだなと。
石はそこまで空調に
気をつかわなくていいけど、
それでも空調は必須で。
元学校の体育館で、
それをどうやってるのかなと。
見上げればなるほど
シートで天井を、ね。
考えたなぁ……
予算と機能と美的と
すべてクリアしてる感じ。
結露からの水滴は、
石にとっても大敵ですし。
学芸員さんなかなかだなと。
へぇ、
タカハシホタテの断面なんて
初めて見たよ。
そういうの分かってて
見せてくれるのすごいな。
タカハシホタテは
北海道の貝化石としては
極めて代表的なやつで、
教科書にも博物館にも
いくつもあったんですが。
断面がない(笑
それ以来、僕なんとなく、
断面見てみたいなぁと(笑
それがここにあった。
はぇ、
駅逓(えきてい)所も
あったのかぁ。
交易と交通の要所「場所」と
そこへの道中に、馬屋と
宿屋とを兼ねて公に設置された
駅逓所。札幌近郊では、
クラークが国へ帰った島松に
建物が保存されてます。
ここにもあったんだねぇ……
看板が残ってるのって
レアじゃないかしら?
展示場を出ると
校舎の中も少し
見て回れる。
清潔感がすごいな。
懐かしいな。
給食はここで
食べたんだなぁ。
僕はずっと教室だったから、
ちょっとうらやましい。
ぐるりと見回していると、
こんな記事が……
2年前の、
この記事の日だな。
あちらでは日航機、
こちらは大地震かぁ……
けど僕は、
この地震知らないなと。
Hi-net で調べたら、
ガッツリ揺れてるわ。
と、あゝそういえば、
僕このころ8月は
道南やら道外やら
出張ってたなと(笑
思い出したくもない。
面白いのはですね、
この地震、まさに
中川町直下で起きてた、
群発地震のようなもので。
当時のチャートには、
滅多矢鱈に大小の
地震の波が残されてます。
ところが、です。
そのなかで1つが、
やはり樺太半島の東
300㌔㍍越えの深い地震
として記録されてる。
これ、どぅでしょう。
その辺りには、なんでしたっけ?
宗谷深発地震帯でしたっけ?
そんなのがあると、
言われたようですが。
間違った計算値の墓場
だったんじゃなかろうか……
なんかそんなものを生み出す
未知の構造とかあったら
ロマンやね♥️
ふぅ。
学術的には、
素敵な申し分のない
町立博物館だと思いました。
ただね、
そっちへ行き過ぎて
遊びに来た客は
つまらないだろうなと。
実は僕、展示室へ入って
立派な展示を見るうちに、
あるものを探し始めました。
もしかしたら、
この展示の終わりに、
アンモにゃいトが
ありはしないかな、と。
プレゼンでもそうでしょ?
真面目な話の合間に
フランクなのをやる。
公募でもやって
招待券でも送れば、
知り合い連れて
見に来るひとも
いると思いますし。
経済効果もあるし。
なにより
釣りびとと違って
マナーもいいからね。
博物館が町の一部になる
きっかけにもなるし。
町の一部になれない博物館は、
けっこうあるみたいですよ。
サバンナの夜明け。
全てが色を失う時間。
なんて書き出しでも、
まあ通用する、かな?
連休を確保するために、
朝っぱらから、
道なき道(道路はあるけどw
を走っておりました。
何度か走っているのですが、
この道がどこへ続くのか
(つまり曲がり忘れてないか
すごく不安です(笑
なんせ交差点から交差点まで、
車で(徒歩じゃなく車で)
小一時間かかる(笑
死と隣り合わせ
まではいかないとしても。
小さくていいので
途中に青看欲しいなぁと……
名古屋とかの道路は
初見泣かせ
と言われるようですが。
安心してください。
ここのは、
泣かせたりしません。
そんな、いじめたりなんて、
ひどいことはしない。
ご安全に!