ようこそ、
僕の思い出ホテル
「僕ホテル」へ!
第1回の今回は、
昭和9年、札幌市の
商業センターとして創業以来、
増改築をしつつ
現在も営業中の某ホテル
なんですが。
もうなくなってしまった
本館シングルのお部屋を
ご紹介します。
どこのホテルか分かっても、
そっと胸の内に
仕舞っておいてくださいね。
僕のホテル巡りの始まりは、
この金属製の
重たいタグのついた
シリンダー錠からでした。
その重さは、
このホテルの歴史を
実感させるものでも
ありました。
タグの横には、黒い皮製で、
このホテルのシンボル
八稜星をデザインした、
スマートタグがついていて、
それがエレベーターの鍵に
なっていた。
シリンダー錠も、
その辺のビジホの
安っぽいものではなくて、
戸建ての玄関を守るような、
しっかりとした造りのもの。
元々、札幌市の施設だった
その名残りを、
スズランのドア飾りが
ひっそりと伝えていました。
ドアは分厚い木製のもの。
黒田清隆がデザインしたのかと
思えるほどの、シンプルで、
厚みとそして温かみのある
扉でした。
脇の傷跡が、
数え切れないほどのお客の
来訪を想像させます。
何人ものエリートが、
このドアの向こうで
それぞれの一夜を過ごした。
今宵、このドアをあける
みなさんも、
その人々のひとりです。
中は、飾り気のない、
実用向きのお部屋。
今の時代には、
確かに少し
狭いかもしれませんが、
それもまた、
歴史の語り部です。
このソファに座って、
ひじかけに手を置き、
小ぶりな
アールヌーボー風の電灯を
見上げ、淡い白熱灯が
照らし出す家具類を眺めて。
あるいは、窓際に立ち、
カーテンを開いて、
道庁や、通りの車や
人々の流れを見下ろす。
地方の役人かもしれない。
商談に来た
外国人かもしれない。
誰かがかつて、
その同じところに座り、
あるいは窓辺に立って、
同じように人々の流れを
見下ろしていた。
その人々が、
今日の札幌に至る街を
つくりあげてきた。
まるいはまた、この
狭いシングルのベッドに、
靴を履いたまま
足を投げ出して、
やれやれと、
途方に暮れていたかも
しれません。
ルームサービスの朝食は、
車輪つきの丸テーブルで
供されますが、
そのテーブルが入ればもう、
いっぱいのお部屋です。
でもそれがいい。
戦時中は、ご他聞に漏れず、
このホテルも接収されて、
返却時には、
家具も何もかも
みんな持っていかれたそうで。
横浜の
ニューグランドのような
特別な部屋は
残されなかったようですが。
それはたぶん、
そういう歴史を
持とうとしなかったから。
サッチャーさんも
チャップリンも来たようで。
そういう部屋は、
存在し得たはずです。
三井炭鉱の争議の際は、
三井系列だった
このホテルへも、
押しかけてきた。
ホテルマンたちが、
今も残る正面玄関を
体で守っている写真が、
半世紀の記念誌か何かに
載ってました。
今、この部屋の扉は、
カードキーにするために、
鍵の部分が
ノコギリで切り落とされ、
ステンレスの板が
間に合わせのように
つけられています。
それを見たとき、
ガッカリした。
もう本当に、ガッカリした。
ソファも、新しいものに
替わってしまい。
ベッドは
ダブルを押し込んで、
ダブルの部屋として
提供されています。
写真のベッドの頭に
八稜星をデザインした
板があったんですが。
それもなくなりました。
ずいぶん前の記事で、
スズランの装飾が残る
タクシーの呼び込みが
まだ残っていたのを
紹介しましたが。それも、
新しいものに
替わってしまったようです。
二度目の接収ですね。
この世が終わったら、
これらを全部、元に戻して、
接収の歴史も一緒にですね、
次の世代の日本人へ、
伝え残したいものですなぁ。