知多半島デジカメ紀行

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 今日1月25日 は日本最低気温の日

2010-01-25 05:16:10 | Weblog

今日1月25日は、日本最低気温の日
1902(明治35)年、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録-41.0℃を記録した。1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低い-41.2℃を記録したが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっている。これら低温を記録する地点は、冬期は道央域、夏期は道東域に集中する。冬期に低温を記録する理由は、北海道が極域からの寒気が流れやすい位置にあることである。この冷気の流れを辿ってみると、世界の寒極があるオイミャコン(ロシア・東シベリアのサハ共和国にある市で、1933年2月6日に-72.2℃を記録した、北半球で最も寒いとされる極寒の地で平均気温が-50℃とか)を通過する。夏期の場合の理由はオホーツク海高気圧からの冷気が大きく影響しているという。

この1902(明治35)年と言う年を聞くと何か思い出さない・・・?。この年、対露作戦の準備の一環として、シベリアを想定した寒地作戦のため訓練が行われた。第8師団は青森の歩兵第5連隊第2大隊と弘前の歩兵第31連帯による厳寒期の八甲田山雪中行軍を企画したが、このうち青森の歩兵第5連隊第2大隊は寒波による風雪の中で道を失い、196人もの死者を出した。悲惨なこの八甲田山遭難事件は映画にもなったが、それがこの年(1902年)1月末のことであったのだ。。-40度というのは、お湯が一瞬にして煙に変わる(氷の粒になる)ような状態だとか。ちなみに2000年1月27日に起こった、北海道東部大寒波のときには陸別町(北海道)では-33.2度を観測し、そのときに道の駅「オーロラタウン93りくべつ」では、自動販売機の「あたたか~い」飲み物がすべて自動販売機の中で凍った(故障)という。八甲田山雪中行軍のときの青森の温度がいくらだったか知らないが、よくもそんな想像を絶する気温下で訓練をしたものだ。神戸に住む私なんか、考えただけで、気が狂うよ。
今年(2006年)1月も昨年の12月から非常に強い寒気が断続的に流れ込み、冬型の気圧配置の日が多かったため、各地で豪雪による被害が続出している。当初「暖冬」を予測していた気象庁は、「北極付近からの寒気放出の予測を誤った」として先月22日に慌てて撤回した。そして、昨年12月の地域の平均気温は、東日本で平年より2.7度、西日本で2.8度低く、統計が残る1946年以降の最低を記録したことが、1月4日まとめた気候統計で分かったとしている。北日本、南西諸島も平年より低く、全国で低温となったのは1985年以来20年ぶり。積雪の記録更新地点も106地点に上ったという。同庁は「非常に強い寒気が断続的に流れ込み、冬型の気圧配置の日が多かったため」としている。
豪雪と言えば、1963(昭和38)年1月の豪雪「三八豪雪」と呼ばれるものがある。1962(昭和37)年末から1963(昭和38)年1月末までの約1ヶ月間本州の日本海側に沿って降った豪雪である。まるで氷河時代のような気圧配置がもたらした豪雪は、世界的な異常気象が、日本と言う一地域の異常として現れたもので、これが、世界各地で異常気象の頻発する時代のひとつの幕開けとなったことで特筆されている。近年世界各地で異常気象が発生しているが、今年の豪雪は、このときの豪雪にも匹敵すると言われている。地震、津波、火山、豪雨、旱魃(かんばつ)、そして、豪雪・・・、科学は一種の人間の自然への挑戦とも言えるものであるが、いよいよ、自然の反撃が始まったと言えるのではないか?。