九州北部の洞海湾に面した八幡村は、戸数約350、人口1200余のうらぶれた漁村だった。そんな寒村が一躍、製鉄業の拠点に変貌(へんぼう)する節目は、1897(明治30)年にやってきた。
「鉄は国家なり」。富国強兵、殖産興業を掲げた明治政府が、国家事業として製鉄所の建設方針を決めたのは、日清戦争の終結間近の95年のこと。その2年後、広島や下関といった建設候補地の中から、八幡村が選ばれた。陸海の輸送などの立地条件に加え、背後に筑豊炭田を控えていたのが大きな要因だった。
高給で多数のドイツ人技師を雇い、急ピッチで建設を進めた。八幡村の東田(ひがしだ)地区に、高さ30メートルの巨大な溶鉱炉がその威容を現し、20世紀幕開けの1901年2月5日、点火式を迎えた。「午前11時、カンナくずに火を付けて消えないように息を吹きかけながら急いで羽口(はぐち)から投げこんだ」と『八幡製鉄所百年史』は歴史的瞬間を記す。翌日夕刻には1トン余の赤い銑鉄がほとばしり出た。11月18日 には皇族や政府高官らを招いて盛大な作業開始式も挙行した。112年前の事です。
今 時は移り
我が愛知県東海市に 新日本製鉄が有る 北海道(室蘭)岩手(釜石)からの方々も多い
今朝5時半に起きて 洗濯 それから畑へ
たまねぎ500本植えた あー腰が痛い!
昨日の万歩計 9,814歩
今朝の血圧 上121 下80 脈96
昨日 佐伯さんに 血圧を下げる薬(エックスフオージ配合剤)6錠もらう
昨日と今朝 1錠を半分飲む 効果抜群!