歴史上の英雄で誰が一番優秀な頭脳の持ち主だったか?
歴史マニアであれば大半は織田信長と答えると思います。
信長以外の天下人は参謀や軍師にあたる人物がいました。
信長はほとんど一人で独創的、天才的行動を実践しました。
鉄砲の積極的利用と武田勝頼との長篠の闘いの鉄砲3段打ち。
毛利、本願寺との闘いでの甲鉄船の考案。
天下布武の為の居城移転。
関所の廃止、通行税、貨物通過税の廃止。
世界の新知識を吸収し地球儀を愛好していた信長。
数えあげるときりがないほどの独創性。
頭もよければ、行動力も抜群。
長身にして鍛え上げた体躯、そして戦国武将きっての美男。
織田信長には劣等感など一かけらも無かったでしょう。
自分は全ての人間で最高である。
信長は晩年、自分を神として敬えと言っています。
安土城の一画に自分を祭る寺を(そう見寺)建立しています。
神になる事、これは天皇の政治的権威を奪取する事に通じます。
天皇の上に立つ、壮大にして恐るべき構想は史上信長だけです。
この信長の行動は後世さほど非難されていません。
それに比べ足利尊氏が逆臣として非難されるのは片手落ちかもしれません。
信長のスケールに比べれば足利尊氏も影が薄いように感じます。
本能寺の変がなければ世界史に名を留めていたかもしれません。
比叡山焼き討ちのような殺戮(さつりく)を異国の地で行った可能性もあります。
恐るべき大天才信長には人間の弱さが判っていたでしょうか。
信長の最大の欠点は「天才過ぎた」ことかもしれません。
そしてそれが信長の命を縮めたとも考えられます。
家臣からの反逆も信長の特徴です。
松永久秀、荒木村重、そして明智光秀です。
なぜ明智光秀が反逆したか?
これはいろいろな説がありますが未だ謎です。
①光秀は信長に恨みを持っていた、怨恨説。
②光秀は天下が欲しかった、野望説。
③足利義昭黒幕説。
その他
ユニオン千葉専従、歴史マニアの新説も聞いて下さい。
★明智光秀は「過重労働」で「初老期ソウウツ病」の状態にあった。
信長に使い捨てにされる恐怖に耐えきれなかった。
長いウツ状態が続いた。(これは歴史的状況証拠あり)
そしてソウ状態の時、反逆後の成算も確認しないまま反逆した。
④明智光秀「初老期ソウウツ病説」です。
根拠として
①怨恨説は冷静でインテリの光秀が恨みだけで反逆したとは考えられない。
②天下人説は反逆の後の行動が周到な準備が持ち味の光秀らしくなくズサンである。
③既に何の力も無い旧主、足利義昭に秀才で現実主義者の光秀が扇動されたとは思えない。
以上により
メンタルヘルスを病んで疲れきって、慎重な光秀としては衝動的に反逆したと推定します。
但し決行までは思慮を重ね手抜かりはありません。
その後の見通しが甘かった点は歴史学者が言っている通りです。
織田家重臣達は人使いの荒い織田信長に仕えて50歳を過ぎると燃え尽き症候群に近かったですね。
柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛もそうです。
光秀も50代半ば当時としては老齢でした。
一人秀吉だけが40代の働き盛りだったのです。
秀吉も「過重労働」であった事は晩年ボケ状態が発生した事で推定されます。
この新説に支持者が一人でもいてくれれば歴史マニアとしてはうれしいです。
ただこんな短文でなくいつか「論文」を発表したいですね。
くれぐれも「過重労働」には気をつけましょう。
☆ソウウツ病は現在では双極性障害と呼ばれています。
語呂がぴったりしないので従来のソウウツ病としました。
歴史マニアであれば大半は織田信長と答えると思います。
信長以外の天下人は参謀や軍師にあたる人物がいました。
信長はほとんど一人で独創的、天才的行動を実践しました。
鉄砲の積極的利用と武田勝頼との長篠の闘いの鉄砲3段打ち。
毛利、本願寺との闘いでの甲鉄船の考案。
天下布武の為の居城移転。
関所の廃止、通行税、貨物通過税の廃止。
世界の新知識を吸収し地球儀を愛好していた信長。
数えあげるときりがないほどの独創性。
頭もよければ、行動力も抜群。
長身にして鍛え上げた体躯、そして戦国武将きっての美男。
織田信長には劣等感など一かけらも無かったでしょう。
自分は全ての人間で最高である。
信長は晩年、自分を神として敬えと言っています。
安土城の一画に自分を祭る寺を(そう見寺)建立しています。
神になる事、これは天皇の政治的権威を奪取する事に通じます。
天皇の上に立つ、壮大にして恐るべき構想は史上信長だけです。
この信長の行動は後世さほど非難されていません。
それに比べ足利尊氏が逆臣として非難されるのは片手落ちかもしれません。
信長のスケールに比べれば足利尊氏も影が薄いように感じます。
本能寺の変がなければ世界史に名を留めていたかもしれません。
比叡山焼き討ちのような殺戮(さつりく)を異国の地で行った可能性もあります。
恐るべき大天才信長には人間の弱さが判っていたでしょうか。
信長の最大の欠点は「天才過ぎた」ことかもしれません。
そしてそれが信長の命を縮めたとも考えられます。
家臣からの反逆も信長の特徴です。
松永久秀、荒木村重、そして明智光秀です。
なぜ明智光秀が反逆したか?
これはいろいろな説がありますが未だ謎です。
①光秀は信長に恨みを持っていた、怨恨説。
②光秀は天下が欲しかった、野望説。
③足利義昭黒幕説。
その他
ユニオン千葉専従、歴史マニアの新説も聞いて下さい。
★明智光秀は「過重労働」で「初老期ソウウツ病」の状態にあった。
信長に使い捨てにされる恐怖に耐えきれなかった。
長いウツ状態が続いた。(これは歴史的状況証拠あり)
そしてソウ状態の時、反逆後の成算も確認しないまま反逆した。
④明智光秀「初老期ソウウツ病説」です。
根拠として
①怨恨説は冷静でインテリの光秀が恨みだけで反逆したとは考えられない。
②天下人説は反逆の後の行動が周到な準備が持ち味の光秀らしくなくズサンである。
③既に何の力も無い旧主、足利義昭に秀才で現実主義者の光秀が扇動されたとは思えない。
以上により
メンタルヘルスを病んで疲れきって、慎重な光秀としては衝動的に反逆したと推定します。
但し決行までは思慮を重ね手抜かりはありません。
その後の見通しが甘かった点は歴史学者が言っている通りです。
織田家重臣達は人使いの荒い織田信長に仕えて50歳を過ぎると燃え尽き症候群に近かったですね。
柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛もそうです。
光秀も50代半ば当時としては老齢でした。
一人秀吉だけが40代の働き盛りだったのです。
秀吉も「過重労働」であった事は晩年ボケ状態が発生した事で推定されます。
この新説に支持者が一人でもいてくれれば歴史マニアとしてはうれしいです。
ただこんな短文でなくいつか「論文」を発表したいですね。
くれぐれも「過重労働」には気をつけましょう。
☆ソウウツ病は現在では双極性障害と呼ばれています。
語呂がぴったりしないので従来のソウウツ病としました。