労働組合 ユニオン千葉  千葉市中央区東千葉2-11-3 電話043-255-5995

労働相談を行っております 相談無料 秘密厳守 (残業代未払い 退職勧奨 不当解雇 過重労働 うつ病発症など) HP有り

人格抜群、なれど不人気なのは何故か?  ユニオン千葉

2008-11-13 18:24:38 | Weblog
史上天下を獲ったと言われる人物は平清盛、源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の6名ですね。
現代に於いてはこの中で「不人気の筆頭」は足利尊氏です。
足利尊氏を不人気にしたのは天下の副将軍「水戸黄門」なのです。
水戸光圀(黄門さん)の編纂(へんさん)した「大日本史」が南朝を正統とした事が発端です。
北朝のスポンサー足利尊氏が逆臣とされたのです。
それまでは政権を握っていた北朝が正統とされていました。
4代で終了した南朝が正統であると言うのには異論もあります。
ただこれは歴史学者の範疇(はんちゅう)ですのでここでは触れません。
足利尊氏は6人の天下人の中では「人格」と言う点で傑出しています。
物欲は無く、女性関係も清潔で天下人としては子供の数も少なく5人だけです。
後醍醐天皇は19人の后妃に34人の子供を生ませています。
女性にあまり興味なさそうな織田信長でさえ子供の数は20人を超えています。
信長は美少年好みでもあり森蘭丸などその代表ですね。
尊氏は酒を飲んでも乱れる事は無かったと言われています。
生まれついて源氏の棟梁の立場にあり天下獲りを宿命として持っていたのです。
祖父の家時が3代のうちに天下を獲れと遺言を残して割腹自殺を遂げました。
平清盛、源頼朝、北條義時(平氏)迄、平氏、源氏、平氏と続きました。
次は源氏の番と言う考えが源氏の足利家には代々伝わっていたのです。
生まれた時から帝王学を学び、文武両道を極め人望は弱年の頃より厚かったといいます。
北條高時、後醍醐天皇、新田義貞など敵として戦った人の為に寺院を建立しています。
織田信長のように浅井長政、久政、朝倉義景のドクロに金粉をぬり杯代りにしたような悪趣味は持っていません。
乱世の政治家としては教養があり過ぎ、優しすぎ、そして優柔不断でした。
南北朝の騒乱を孫の義満の代迄引きずってしまった事はいただけません。
ただ追い詰められると必ず勝利するといった武人としての才能があります。
複雑な一生を送った人物ですのでなかなか理解するまでは時間がかかりますね。
足利尊氏の人物像については非常に興味を持っています。
これからもこのブログに登場するかもしれませんね。
歴史マニアのたわごとにたまには付き合って下さい。


コメントを投稿