うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

京都・白黒

2005年10月25日 | お出かけ
京都に行ってきました。新しいところを開拓するぞーっと思い、いろんな方に教えていただきました。ありがとうございました。
それで、京都でどうだったかというと、やっぱり、いつものうどん(冨美家)を買い、いつもの豆腐(とようけや)を買いました。ただ、二条若狭屋さんの栗のお菓子は買ってきましたよ。それから、御所の参観もしましたよ。御所はネットで参観予約ができます。身元をちゃんと書かなきゃいけないし、同伴者の氏名とかもちゃんと明かさなきゃいけないので、御所の参観に嘘偽りはききませんよ(でも、いけない関係だからと言って、とがめられるわけではないので安心してくださいね。)御所以外で行ったところは、二条城。このお城を見て、当時の京都の人たちがどう思ったか、想像するのはちょっと楽しかったです。でっかいお城は、ひょっとして、徳川家の威信を示すためだったのかなっとか、でも京都の人たちは、こんな大きいだけの田舎くさいもの作ってなんて思ったりしてとか思ったのかなっとかね。それから、十条のジャスコ(!?)錦には行かなかったので、ここで冨美家をかいましたよ。

十条はパッチギのロケをした場所。京都は、 千年都市であり、マイノリティを多く抱く町です。その意味は何でしょう。永遠とも思える未来に向かって苔むしていく町。そうして、訪問者には見えないところで、士でも農でも工でも商でもない民を抱えた町。その意味はなんだろう。
御所は、今まで見た建物の中でもっとも「清らか」な場所だった。真っ白な空間に向かって果てしなく開いた清らかさ。考えうる最高の「封じ」と「寿ぎ」をして作られた町のその中心の中心。何物にも邪魔されない、万物に向かって「開いた」場所。千年にわたって清められ続けた場所。そうして真っ白な強い光が放たれ続けている場所だった。私たち大和人の累類は何を求め、何を目指してここをその中心としたのか。歴史の中で揺すぶられ続けているはずなのに、このイノセントな「清らかさ」は、何なのだろう。答えの端っこにも触れぬまま、帰って来ました。
コメント (10)
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