「お大尽」の、究極の楽しみは、パトロンになることと、コレクションをすることであろう。
「集める」ということは、ほとんど非生産的であり、過去に向かっている。それに対し、パトロンになり「育てる」ということは、未来に向かう生産的な技である。この相反する両者を同時にやって初めて、「お大尽」と言えるのかもしれない。
しかし、どちらも、「人間」特有のものだ。確かに動物も、自分の子や群れの子は育てるけれど、そこに「才能の開花」という、未来への想像はない。その意味で、コレクションとパトロンは「人間らしい」ことなのかもしれない。何を「集め」、何を「育てる」かは、その人を知る早道である。同様に、「集め方」「育て方」も、その人を語る。
「コレクションは「チョイ大尽」でもできる。「形見分け」というものがあるが、そのとき、生き方がはっきりすることが多い。箪笥何本もの着物だったり、掛け軸だったり、旅館の割り箸だったり、グリコのおまけだったり。自分が死んだとき、「こんなものばっかりたくさん残してさ」と、親族郎党ががっかりしたりするのは、情けないけど、逆に愉快でもある。
「育てる」ことは、「チョイ大尽」にはちょっと難しい。わが子を育てる程度で精一杯である。しかし、世の中には想像もつかないほどのお大尽がいて、育てられ仕事をなした「天才の仕事」の、3分の1くらいの賛辞を送ってもかまわぬような育て方をする人もいる。「育てる」お大尽が金持ちであるだけではだめだというところも面白い。いわゆる審美眼というものも必要だし、莫大な金額をかけなくても「育てる」ことが可能なときもある。精神的なパトロンというのも「あり」なのであるし、お金をかけても、精神的な「育て」ができなければ、真のパトロンとはいえまい。かように、パトロン・コレクター「お大尽」への道は、細く険しいのである。
紛れもないパトロン・コレクター「お大尽」のお話を昨日聞いた。
岐阜出身の原三渓という人である。明治横浜の貿易商であり、「三渓園」の持ち主であり、岡倉天心のパトロンである。彼のコレクター魂は、桁外れであり、集めたものはちゃちなヤフオクで買えるような代物ではない。彼は、美術品のみでなく「家」を集めちゃったのである。正確には旧東慶寺仏殿・臨春閣などの「歴史的建造物」である。それを自分の庭である、「三渓園」に、バンバン移築した。そうして、そこを、若手画家に提供した。なんと豪気なこと!!しかも、関東大震災以降は、ぱったりコレクションをやめてしまった潔さ。かっこよすぎる。「お大尽」はかくありたいというものである。
最近の「お大尽」は、企業買収とか、TOBとかM&Aとかをなさっているが、それも、一種のコレクションであり、パトロンであるのかもしれない。しかし、「お大尽」の王道を進んでくれるものがなかなかいないので、今の世の中は、ちょっとつまらない。ホリエモンは、旧ソビエトのロケットを買ったそうだが、原三渓を見習い、それをコレクト、パトロンの道に繋げてほしいものだ。
原三渓のチケットは下記「つきみそう」matsubara様にいただきました。
三渓は、岐阜に別荘を持っており、今は水琴亭という料亭になっています。このあたりは、古い町並み、由緒深く、趣のある町並みです。ぜひ一度ご訪問ください。
☆★グルメのけんちゃん★☆:気韻
つきみそう:濃尾震災
TBさせていただきます。
「集める」ということは、ほとんど非生産的であり、過去に向かっている。それに対し、パトロンになり「育てる」ということは、未来に向かう生産的な技である。この相反する両者を同時にやって初めて、「お大尽」と言えるのかもしれない。
しかし、どちらも、「人間」特有のものだ。確かに動物も、自分の子や群れの子は育てるけれど、そこに「才能の開花」という、未来への想像はない。その意味で、コレクションとパトロンは「人間らしい」ことなのかもしれない。何を「集め」、何を「育てる」かは、その人を知る早道である。同様に、「集め方」「育て方」も、その人を語る。
「コレクションは「チョイ大尽」でもできる。「形見分け」というものがあるが、そのとき、生き方がはっきりすることが多い。箪笥何本もの着物だったり、掛け軸だったり、旅館の割り箸だったり、グリコのおまけだったり。自分が死んだとき、「こんなものばっかりたくさん残してさ」と、親族郎党ががっかりしたりするのは、情けないけど、逆に愉快でもある。
「育てる」ことは、「チョイ大尽」にはちょっと難しい。わが子を育てる程度で精一杯である。しかし、世の中には想像もつかないほどのお大尽がいて、育てられ仕事をなした「天才の仕事」の、3分の1くらいの賛辞を送ってもかまわぬような育て方をする人もいる。「育てる」お大尽が金持ちであるだけではだめだというところも面白い。いわゆる審美眼というものも必要だし、莫大な金額をかけなくても「育てる」ことが可能なときもある。精神的なパトロンというのも「あり」なのであるし、お金をかけても、精神的な「育て」ができなければ、真のパトロンとはいえまい。かように、パトロン・コレクター「お大尽」への道は、細く険しいのである。
紛れもないパトロン・コレクター「お大尽」のお話を昨日聞いた。
岐阜出身の原三渓という人である。明治横浜の貿易商であり、「三渓園」の持ち主であり、岡倉天心のパトロンである。彼のコレクター魂は、桁外れであり、集めたものはちゃちなヤフオクで買えるような代物ではない。彼は、美術品のみでなく「家」を集めちゃったのである。正確には旧東慶寺仏殿・臨春閣などの「歴史的建造物」である。それを自分の庭である、「三渓園」に、バンバン移築した。そうして、そこを、若手画家に提供した。なんと豪気なこと!!しかも、関東大震災以降は、ぱったりコレクションをやめてしまった潔さ。かっこよすぎる。「お大尽」はかくありたいというものである。
最近の「お大尽」は、企業買収とか、TOBとかM&Aとかをなさっているが、それも、一種のコレクションであり、パトロンであるのかもしれない。しかし、「お大尽」の王道を進んでくれるものがなかなかいないので、今の世の中は、ちょっとつまらない。ホリエモンは、旧ソビエトのロケットを買ったそうだが、原三渓を見習い、それをコレクト、パトロンの道に繋げてほしいものだ。
原三渓のチケットは下記「つきみそう」matsubara様にいただきました。
三渓は、岐阜に別荘を持っており、今は水琴亭という料亭になっています。このあたりは、古い町並み、由緒深く、趣のある町並みです。ぜひ一度ご訪問ください。
☆★グルメのけんちゃん★☆:気韻
つきみそう:濃尾震災
TBさせていただきます。