藤原順子・後山階陵
京都府京都市山科区御陵沢ノ川町にある後山階陵は山科駅のすぐ北側にあります。 山科駅の西からまっすぐ安祥寺に伸びる道を進むと第一疎水にかかる小さな橋があり、これをわたると安祥寺入り口があります。 前回訪れた時には門は閉まっていて残念ながら中にはいることができませんでした。 ここ安祥寺川上流西岸に東面して築かれた円墳が後山階陵で、今回は、毘沙門堂の境内経由で訪れました。 丁度紅葉の最盛期でもあり、後山階陵を艶やかに照らしているようで素敵な情景です。
山階陵を抜けると大文字山、南禅寺へも行くことができます。(2007.11.23撮影:クロウ)
左大臣藤原冬嗣(775~826)の娘順子(809~871)が眠っています。 藤原順子は 「美姿色。雅性和厚」と伝えられていて、.女御より皇太夫人に昇った初例でもあります。 のちに皇太后となり、東五条院(五条宮)を居所としたことから、五条后と称されています。 『伊勢物語』によると、姪の高子が一時同居した時、在原業平との間に問題を起こしています。 また、.藤原順子は仏法に帰依深く、宇治郡に安祥寺を建立しました。
安祥寺 (撮影:クロウ)
後山階陵一帯は、日本古来の方法による製鉄・をたたら製鉄の遺跡でもあり,比良山系から湖西・湖南地域に分布する製鉄遺跡の一つ,如意ヶ岳南麓遺跡群に含まれます。 これらの地域の製鉄は6・7世紀を最盛期とし,鉄鉱石を原料としていたと考えられている。また、輪王寺宮御墓参道もあります。
801-861
伊都内親王(桓武皇女)
┃
是公娘・吉子-807 伊勢継子┣ 在原行平818-893
┣ 伊予親王 ┃ ┣ 在原業平825-880
┃乙牟漏皇后 760-790 ┣阿保親王792-842 ┃
┃┣ 高志内親王789-809 ┣高岳親王799-865 *5
┃┣ 安殿親王 774-824(51平城天皇)
和新笠 ┃┣ 賀美能親王784-842(52嵯峨天皇)
┃ ┃┃ ┃┏藤原乙春842-866
┣山部王(桓武)┃┗藤原沢子 -839 830-887
┃ 737-806 ┃ ┣ 時康親王58光孝天皇
白壁王(光仁) ┃ ┃ ┃ 藤原穏子885-954(時平・妹)
┃ ┃ ┃ ┃ 安子
┃ ┃ ┃ ┃ ┣
┃ ┃ ┃ ┣ 成明親王(62村上)926-967
┃ ┃ ┃高藤┓┣ 寛明親王(61朱雀)923-952
┃ ┃ ┃ 胤子┣ 保明親王901-923
┃ ┃ ┃ ┣60醍醐天皇 ┗ 慶頼王920-925
┃ ┃ ┗ 源定省(59宇多天皇)┏58光孝天皇
┣ 正良親王(54仁明天皇)810-850 ┗源順子
藤原嘉智子┃ ┣
┃ 小野吉子(更衣)
┃ *5
┃紀名虎娘・静子 ┏━━━━━┛
┃ ┣ 紀有常女
┃ ┣ 惟喬親王(第1皇子)
藤原冬嗣 ┣ 道康親王(55文徳天皇)836-858
┣ 藤原順子(冬嗣・娘) ┣清和天皇
美都子 藤原明子