足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。 寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の1345年に行われた。 季節を問わず天龍寺近辺は観光客でにぎわうが、特に秋の紅葉の時期は特筆するものがある。そして天龍寺近くにある宝厳寺、実は特別公開の時期しか中に入れないという天龍寺の塔頭も見事な紅葉に彩られる。すこし散策しながら北側へ行くと野間神社という源氏物語でも登場する禊の場所や竹林の小道といって竹林で囲まれたその小道は夏でも清涼感たっぷりで、夜間になるとライトアップされる様は幻想的な瞬間を味わえる。
亀山・後嵯峨天皇陵への参道入口