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義経と静がはじめて出会ったのは、一の谷の合戦(1184年2月)の約1年半前になります。
寿永元年(1182年)7月、後白河上皇が京の神泉苑で雨乞いの神事を行った時、召されて白拍子を舞ったときに義経に出会い(静 15歳)、堺の住吉神社の舞会で平家追討に来ていた源義経に見初められて側室になっています。静18歳、義経27歳でした。静が男子を産むのが1185年7月29日ですから、1184年9月に懐妊しています。静18歳になったばかり。従いまして、懐妊後に側室になったと思われます。因みにこの頃9月14日に、正妻である河越太郎重頼の女が義経に嫁ぐために京都入ってます。義経が正妻と結婚したときには、静との出会いから1年くらいは経っていると考えられます。河越太郎重頼の女は義経の心は静にあることを知って結婚しており、でも義経を慕う気持ちは衣川での死でわかるように相当なものであったようです。健気です・・。
そのあと1185年1月8日、屋島に向かっています。屋島へは二人を連れ立っての戦だったのでしょうか。