平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

光雲寺・久邇宮墓地

2007年11月25日 | 陵 古墳 墓 遺跡

光雲寺内久邇宮墓地

 京都の銀閣寺から熊野若王子神社を結ぶ哲学の道の南端には宗諄女王墓、昭子内親王の墓がほぼ向かい合わせにあります。その少し北側を西に降りると光雲寺と久邇宮墓地があります。(下の階段を下りてすぐ)

 南禅寺の境外塔頭・光雲寺は、もとは摂津の国難波にあり、1657年に南禅寺の英中禅師により再興され、1664年に東福門院の援助で現在地に移されました。 重厚な唐様建築の仏殿は創建当時のもので、東福門院の念持仏・釈迦如来尊像を祀ります。 また書院前の庭園は江戸時代の「都名所図会」や「都林泉名勝図会」にも掲載された名園で、1927年に第7代小川治兵衛によって大幅に手を加えられ、現在は京都市指定名勝に指定されています。  光雲寺は霊芝山と号し、臨済宗南禅寺派に属し南禅寺北の坊とも呼ばれています。歴代皇室の尊祟あつく、元久邇宮家の菩提所となっています。もともと境内は広大であったが火災、明治の変革により縮小された。

光雲院

 

 東福門院とは徳川家康の孫娘・徳川和子のことで、第108代後水尾天皇に入内すると昭子内親王および興子内親王をもうけた。 興子内親王は後の第109代明正天皇である。兄弟には姫路城主・本多忠刻室となった千姫、徳川三代将軍・家光らがいる。

 久邇宮墓地

 

 久邇宮墓地には伏見宮第20代邦家親王の子女・一言足彦王、暢王(のぶ)、飛呂子女王、懐子女王の墓及び邦彦王髪塔があります。

コメント    この記事についてブログを書く
« 宗諄女王墓 | トップ | 南禅寺 »
最新の画像もっと見る

陵 古墳 墓 遺跡」カテゴリの最新記事