宗諄女王墓
京都・南禅寺から永観寺を経て(その途上に尊良親王御墓があったようですが、見逃しました。) 熊野若王子神社から疎水に沿い北へ100メートルほど、二つ目の橋の向かい側、疎水縁に「宗諄女王墓」があります。 宗諄女王は、伏見宮第19代貞敬親王(1776-1841)の第九王女として1816年に生まれ、4歳の頃から霊鑑寺に入り文政6年(1822)に得度して、法名を宗諄としました。 その後も霊鑑寺に住持し布教活動に尽くしたことなど、長年の功労により慶応4年に紫衣の着用が許されています。 1889年、大病がもとで76歳で亡くなられました。 秋は、女王墓周辺の楓の紅葉が美しいのですが、本日の彩りはいまいちでした。
伏見宮第10代貞清親王
┗第13代貞致親王1632-1694
┣理子女王(徳川吉宗室)
┗第14代邦永親王1676-1726
┣第15代貞建親王1701-1754東山天皇猶子
福子内親王┣第18代邦頼親王1733-1802桜町天皇猶子となる
秋子内親王┣輪王子宮公澄親王
┣薫子女王
┣第19代貞敬親王1776-1841
鷹司昌子 ┣第20代邦家親王1802-1872
┣宗諄女王1816-1889
┣梨本宮守脩親王1819-1881
一条輝子