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宗諄女王墓

2007年11月25日 | 陵 古墳 墓 遺跡

宗諄女王墓

 京都・南禅寺から永観寺を経て(その途上に尊良親王御墓があったようですが、見逃しました。) 熊野若王子神社から疎水に沿い北へ100メートルほど、二つ目の橋の向かい側、疎水縁に「宗諄女王墓」があります。 宗諄女王は、伏見宮第19代貞敬親王(1776-1841)の第九王女として1816年に生まれ、4歳の頃から霊鑑寺に入り文政6年(1822)に得度して、法名を宗諄としました。 その後も霊鑑寺に住持し布教活動に尽くしたことなど、長年の功労により慶応4年に紫衣の着用が許されています。 1889年、大病がもとで76歳で亡くなられました。 秋は、女王墓周辺の楓の紅葉が美しいのですが、本日の彩りはいまいちでした。

 

伏見宮第10代貞清親王 
   ┗第13代貞致親王1632-1694 
      ┣理子女王(徳川吉宗室)
      ┗第14代邦永親王1676-1726

         ┣第15代貞建親王1701-1754東山天皇猶子  
       福子内親王┣第18代邦頼親王1733-1802桜町天皇猶子となる
          秋子内親王┣輪王子宮公澄親王
               ┣薫子女王
 
              ┣第19代貞敬親王1776-1841

              鷹司昌子  ┣第20代邦家親王1802-1872
                    ┣宗諄女王1816-1889
                    ┣梨本宮守脩親王1819-1881
 
 
 
               一条輝子

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