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高野山44 出羽庄内藩酒井家墓所

2014年04月30日 | 高野山

  酒井家といえば、姫路城主としては最後の家系となることで知られている。その系統である酒井忠勝1594-1647が出羽国庄内藩の初代藩主となっている。それまでの経緯を見ると越後高田藩主、信濃松代藩主を経ているのである。ここで酒井と越後高田藩について。宗家の越後高田の騒動などによって不安定であった越後に陸奥福島より、本多忠国が入ってくる。しかしまもなく越後村上へ移動。入れ替わって上野前橋より、酒井忠恭が15万石で入ってやっと安定し、以降酒井家の支配で、明治に至る。酒井家は松平親氏の子が酒井広親となったことから出る松平庶流であり、酒井忠次・家次父子を祖とする出羽庄内の左衛門尉系酒井家と、酒井重忠を祖とするこの姫路に至る雅楽頭系酒井家がある。ここ高野山の墓所は前者にあたるのである。尚、江戸生まれで幼少から神陰流、北辰一刀流を学んだ山岡鉄舟とともに浪士隊を結成した清河八郎は庄内藩出身である。また出羽国庄内藩の初代の酒井忠勝が藩主をつとめた信濃松代藩からは幕末の砲学者・佐久間象山1811-1864がでている。

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