園城寺(三井寺)
大津市の弘文天皇陵へ行ったときに、ここ三井寺に立ち寄りました。天皇陵からはほんのすぐ近くです。 その昔、後白河天皇の皇子である円恵法親王が三井寺の長官を務めたところです。 また保元の乱では惨敗した上皇側の源為義が隠れたところであり、以仁王も行家の裏切りにあって隠れているところでもあります。
園城寺(三井寺)は天台寺門宗の総本山で、いにしえより日本四箇大寺の一山に数えられています。その昔、天智・弘文・天武三帝の勅願により、弘文帝の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武帝より『園城』の勅額を賜り、長等山園城寺と称したのにはじまります。 俗に三井寺と呼ばれているのは、当時天智・天武・持統三帝の御産湯に用いられた霊泉があり、『御井の寺』と呼ばれていたものを、後に開祖智証大師が当時の厳儀・三部灌頂の法水に用いられたことに由来しています。
長い歴史の上で当寺は再三の兵火にあい焼失したが、豊臣氏や徳川氏の手によって復興し、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。