久しぶりに黒田官兵衛ネタです。天気もいいことだし昨日は気分転換に城めぐり。播磨というところは結構城跡があるのです。そのひとつ、志方城を紹介します。ここは黒田官兵衛の妻・光姫の実家でもあり、1492年に櫛橋則伊により築かれて以来4代にわたって存続した。櫛橋家はもともと神奈川を本拠地とした鎌倉御家人であったが、南北朝時代に播磨へ来て土着したという。このとき赤松氏に仕えて赤松氏の台頭に貢献した。やがて浦上家の下克上によって赤松氏が衰退して行ったときに、櫛橋家は独立して志方に勢力を築く。また御着城主・櫛橋伊定の娘を娶るなどして播磨での基盤を固めた。1578年4代城主・政伊の時に羽柴軍の北畠信雄が10000の軍勢で迫ったとき、黒田官兵衛の助言もあり、城主櫛橋伊定は降伏した。しかしまもなく秀吉の播磨制圧が始まると櫛橋政伊は秀吉側ではなく毛利家に就いたことで窮地に追いやられた。織田信忠率いる織田軍本隊が播磨へ進軍しており、集結した織田軍は三木城およびその支城であった志方城などを包囲する。このころ神吉頼定の神吉城が落城している。北畠信意・長岡藤孝らの包囲を受けて志方の重臣の多くはこのときに命を失う。これによって士気を喪失した政伊は間もなく降伏して自刃、志方城主としての櫛橋氏はここに滅亡したのである。以後、孤立した三木城は羽柴秀吉による包囲戦を強いられていく。その10年後の1587年に城主を弔うために志方城跡に観音寺が建立された。本来は立派な観音寺ですが、当日は本堂の改修工事中、しかも観音寺説明板は写真のように大河イラスト仕立てで少し興ざめでした。
黒田重隆1508-1564(龍野城主・赤松政秀→小寺政職に仕える)
┗黒田職隆1522-1585(姫路城代)⇔赤松政秀
┃┣娘 蜂須賀正勝1526-1586
┃┃┣- ┣蜂須賀家政1558-1639
┃┃浦上清宗-1564 ┗イト
┃┣黒田官兵衛孝高1546-1604 ┣-
┃┃ ┣①黒田長政1568-1623
┃┃ ┣黒田熊の介 ┃
┃┃ 櫛橋伊定 ┃1582-1597 ┃
┃┃ ┣光姫1553-1627 ┣黒田高政1612-1639東蓮寺藩初代
┃┃ ┣櫛橋政伊?-? ┣黒田高政1612-1639東蓮寺藩初代
┃┃ ┣妙寿尼1545-1613┣黒田高政1612-1639東蓮寺藩初代
┃┃ 小寺政隆娘┣黒田正好 ┃
┃┃ 上月景貞 ┃
┃┃ ┃
┃┣黒田利高1554-1596 ┣黒田長興1610-1665秋月藩初代
┃明石宗和娘(小寺養女) ┣②黒田忠之1602-1654
┣黒田利則1561-1612 栄姫
┣黒田直之1564-1609
神吉氏