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ご存知のように、義経には二人の女性がいました。静御前と河越重頼女(『源平盛衰記』に郷御前という名ででてくる)です。この二人はあまりにも有名ですが、実は都では24人の女性を通じていたといいます。のちに説明しますが、一つ船に六人の女房と五人の白拍子の計十一人もの女が乗っていたと『義経記』はいいます。
【女遍歴紹介】っまこれだけの男ですから、普通ですか^^
まず、最初に平泉入りした16歳のとき、秀衡公らが介して結婚したと思われる女性で、少なくとも娘1人(千鶴と仮称)がいる。これは誰だ・・何歳だ・・若すぎない?
彼女は15歳くらいだと思われるが、また調べよう^^;;
佐藤継信・忠信兄弟に縁のある女性らしい。故にこの兄弟最期まで義経に遣えた?。
次は、皆鶴姫。京の鬼一法眼の娘。義経は16歳のとき兵法書「六韜」をどうしても勉強したかった。鬼一法眼は陰陽師でした。(陰陽師とは占い師のこと。武士・医者・作家と同じ身分を持っていた)
鬼一法眼は、いくらお願いにいても兵法を教えてくれなかったので、娘の皆鶴姫に近づき、兵法書を盗ませた。内容を熟読するや否や、ポイしたとか・・・。義経にぞっこんだった皆鶴姫は忘れられず、気仙沼に身をなげたとか。。
義経ファンとしてはちょっと、ガックリくるような一コマですが、っま許したろか。
静御前と河越重頼女は、またあとで、でてきます。義経26歳くらいのときかな。