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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

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細川ガラシャ隠棲の地

2019年06月10日 | 戦国時代

 細川ガラシャとは忠興の妻・細川玉子のこと。ガラシャはキリシタン名である。細川玉子の父は織田信長を討った明智光秀である。討つと同時に玉子は逆臣の娘となり不遇の人生を背負うこととなる。この時玉子は19才、二人の子とともに丹後の味土野に幽閉される。信長の死後は秀吉の計らいもあって忠興は珠を細川家の大坂屋敷に戻した。それまでは出家した舅・藤孝とともに禅宗を信仰していた珠だったが、忠興が高山右近から聞いたカトリックの話に心惹かれていく。1587年頃にガラシャという洗礼名を受けたが、やがて秀吉はバテレン追放令を発布。夫である忠興は受洗を棄教させようとしたが、珠は頑としてきかず、ついに忠興も黙認することになった。1600年7月、忠興は徳川家康に従い上杉征伐に出陣する。この隙に、西軍の石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶、家老の小笠原秀清(少斎)がガラシャを介錯し、屋敷に火をつけて自刃した。 

細川玉子が幽閉された丹後の味土野

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