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坂合黒彦皇子墓

2007年10月21日 | 陵 古墳 墓 遺跡

坂合黒彦皇子墓

 前々から参拝したいと思っていた坂合黒彦皇子墓に今回初めて行って参りました。 歴史的に弟の雄略天皇が有名でありますが、供に允恭天皇の皇子で弟に抹殺された悲運の皇子です。坂合黒彦皇子墓は奈良の南部・近鉄吉野線の薬水駅の近く、309号線沿いの山の中腹にあります。(撮影:クロウ)

 

 坂合黒彦皇子は、弟の大初瀬皇子(雄略天皇)により異母兄の眉輪王や義父葛城円とともに円の屋敷ごと焼き殺された(眉輪王の変 456年)といわれており、ここに葬られているのは、坂合黒彦皇子だけではなく葛城円や眉輪王も含まれているかもしれません。 安康3年(456年)、第20代安康天皇は、即位して3年ほどした頃、樓(たかどの)での湯浴宴の席で、妻(長田大郎女)と眉輪王のことを話していた。 「眉輪王が成長して、自分の父が私に殺されたことを知ったらどう思うであろうか。私は眉輪王がこわい」と。 実は、眉輪王は、仁徳天皇の皇子である大草香皇子と中帯姫皇女(長田大郎女)の間に生まれた子供で、その実の父である大草香皇子が安康天
皇によって殺され、母である中帯姫皇女がその敵の妻となり、后になっているのである。そして、安康天皇には子どもがいなかったので、眉輪は皇子として育てられていたのです。  眉輪王は幼くして、樓の下でたわむれ遊んでいた時に、その話を聞いてしまい、安康天皇が、皇后の膝を枕にして昼寝をしてしまわれた時に、刺し殺してしまったのです。 事件はただちに大初瀬皇子(雄略天皇)にも伝えられ、兵を率いて自ら将軍となって、すぐ上の兄である八釣白彦(やつりのしろひこ)皇子を責め問いつめると即座に刀を抜いて、斬ってしまいます。 坂合黒彦皇子は深く疑われることを恐れて、ひそかに眉輪王に事の次第を尋ね調べられたところ、眉輪王は「私は皇位を望んだのではなく、父の仇を討っただけなのです。」と語ります。 同情した坂合黒彦皇子は、隙をみて、義父である葛城の円大臣の家に逃げこみます。それを知った大初瀬皇子(雄略天皇)は使いを遣わせて、引き渡しを求められましたが、大臣が使いを出して答えるには、 「人臣が、事あるときに逃げて王宮に入るということは聞きますが、いまだ君主が人臣の家に隠れるということを知りません。まさに今、坂合黒彦皇子と眉輪王は、深く私の心をたのみとして、私の家にこられました。どうして強いて差し出すことができましょうか。」といいます。 これに腹を立てた雄略天皇は軍事豪族の大伴氏や物部氏を味方につけ、葛城の円の大臣の家を大軍で取り囲み、激しく攻め立てます。 大臣は装束をつけ、軍門に進み出て拝礼して、「私は誅殺されようとも、あえて命をうけたまわることはないでしょう。古の人もいっています。『賤しい男の志も奪うことは難しい』とは、まさに私の場合にあたっています。伏して願がわくは、私の娘・韓媛(からひめ)と、葛城の領地七ヶ所を献上し、罪をあがなうことをお聞きいれください。」と頼みます。しかし、雄略天皇は、韓姫と領地は受け入れたのだが、命乞いは許さず、葛城の大臣の屋敷に火を放ちます。こうして、大臣と黒彦皇子、眉輪王はともに焼き殺されてしまったのです。 その舎人たちは、死骸を取り収めましたが、骨を選び分けるのは難しく、ひとつの棺に入れて新漢(いまきのあや)の槻本の南丘に合葬されたということなのです。

 

 

                                                                                   春日大娘皇女
           宮主宅媛                  ┣橘仲皇女 
葛城高額媛       ┣雌鳥皇女    荑媛(葛城蟻臣娘)    ┣白香皇女 
 ┣神功皇后170-269   ┣菟道稚郎子皇子   ┣ 飯豊青皇女440-484┣武列天皇 
息長宿禰王┃      ┣矢田皇女      ┣ 億計王(24代仁賢天皇)袁祁命449-498 
       ┣ 15代応神天皇-394(誉田別尊) 黒媛 ┣ 弘計王(23代顕宗天皇)意祀命450-487
1414代仲哀天皇┣ 荒田皇女         ┣ 市辺押磐皇子(忍歯王)-456
 ┣ 坂皇子  ┣ 16代仁徳天皇257-399    ┣ 御馬皇子
 ┃      ┣ 根鳥皇女┃       ┃
 
 ┣ 忍熊皇子┏仲姫命   ┣ 17代履中天皇319-405(阿智使主、平群、物部が舎人)
 
大中姫     ┣高城入媛   ┣ 住吉仲皇子(安曇連、倭直の海人族が舎人)
 品陀真若王┛┣大山守   ┣ 18代反正天皇336-410
  
         応神天皇   ┣ 19代允恭天皇  -453
  
         ┏━   磐之媛命   ┣ 木梨軽皇子━━━━━━━━━━┓
 
 
          ┃ 仁徳天皇      ┃長田大郎女                     ┃
 
 
         ┃   ┃        ┏ ┃┻眉輪王┣                     ┃ 
   
         ┃   ┣ 大草香皇子┣ 20代安康天皇(穴穂皇子)401-456 ┃
 
          ┃   ┣ 若日下部命┣ 軽大娘皇女━━━━━━━━━━┛
         ┃  日向髪長媛 ┃ ┃       和珥童女君

甘美内宿禰   ┃       ┗ ┃━┓       ┣ 春日大娘皇女
武内宿禰
   ┣ 葛城葦田宿禰   ┣ 21代雄略天皇(大長谷王)418-479
  ┣葛城襲津彦-347┃      ┃ ┣ 磐城皇子  ┃
  ┣巨勢小柄宿禰 ┃      ┃ ┣ 星川稚宮皇子┃
 ┣蘇我石川宿禰 
┣葛城玉田宿禰┃ 吉備稚媛      ┣ 22代清寧天皇444-484
 ┣平群木菟宿禰  ┃ ┣葛城円 ┣ 八釣白彦皇子  ┣ 稚足姫皇女
 ┣紀角宿禰      ┃ ┗毛媛  ┃        ┣葛城韓姫
 ┣羽田矢代宿禰
  ┣黒媛    ┣ 坂合黒彦皇子 葛城円  
            ┣葛城蟻臣  ┏忍坂大中姫      
                   ┣荑媛  ┗衣通姫(そとおりひめ

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