追いつめられた精神は常にピリピリしていたように思う。
追いつめられた精神は常にピリピリしていたように思う。
あまり楽しくないお話ですが・・・・・、
認知症という病気・・・今はもう当たり前のように知られていますね。
私の場合、「義父」の事があったので、その時ようやく、様々な本や記事を読みまくりました。
今はヤフーのトップにも色んな見解や対処法がアップされることもあって、より簡単に情報を手に入れる事が出来ますけれど。
しかしこの病気、どう足掻いてもしんどい・・・・!!
周りも、もちろん本人も。
私のブログをご覧になっている方は既にご存知だと思いますが、父は「不安」を覚えると必ず電話してきます。
(もちろん些細な用事があるときも・・・・)
一日20回、多いときは30回でした。
こちらの精神がおかしくなる寸前に、主人から「音を切れ」と言われ、「着信音」をゼロにしました。
主治医にも話し、お薬の調合をその都度変えて貰ったりもしました。
そのおかげもあって、一時的にはよくなるんです。
確かに負担が軽くなりました。
ええ、三ヶ月ほどは・・・・・。
最近、またしても症状が悪化。
どういうことかは別ブログに書いてありますが、とにかく不安が強くなるんでしょうね。
夕べ(というかさっき)は深夜12:40から2:30まで着信が13回ありました。(狂気!!)
私は熟睡していたので、受けることはありませんでしたが。
最終的に父は私達の寝室(二階)にまでやってきました・・・・。
不快指数急上昇です。
これが毎日続けばどうなるかなんて想像出来ますよね?
「あのさぁ・・・・・今、夜中やけど!??」(怒×10)
といえば
「そうなんか?夜飯いつ食べた?」
と答える父。
結局、台所でウロウロし始め、自室でテレビまで見始めたので、
「今、夜中やし・・・寝ててくれる!?」(怒)と諭し(脅し)、パジャマを再び着せました。
まあ・・・おかげで目はばっちり覚めてしまい、今こうしてブログを書いてるんですけどね。
疲れる
疲れる
本当に疲れる
こんな時、ミーコがいてくれたらなあ・・・・・・
あのふわふわの毛に顔を埋めて、癒されたいなあ。
相変わらずメンタルボロボロなんですが、色んな方に励まされ、慰められ、諭され・・・・このままじゃ駄目だと解ってはいます。
でも、この胸に開いた穴が塞がるのは、相当な時間が必要みたいです。
ミーコの存在はあまりに大きすぎた。
毎日毎日、涙を流さない日はありません。
もう会えないのか、と思えば、この世が一気に色褪せた気がするんですよね。
きっと主人も同じ思いなんでしょう。
今や、傷を舐め合う同志です。
この三連休。比較的ゆっくり出来ました。 (●^o^●)
───とはいえ、救急車に乗り込んで総合病院に付き添ったり………しましたが。
大叔母がやってきたその日。
歓談している最中にふと、ミーコを連れてこようと思い、廊下に出ました。
すると・・・卯月の実父の部屋からうめき声?のような怒鳴り声ような、変な叫びが。
どうやら私を呼んでいるらしく、声の様子からしてただ事ではないと解り、慌てて寝室へ飛び込みました。
ベッドに横たわった父は「吐きそうや」としきりに手をかざします。
滅多なことではない為、私も一瞬思考が停止しましたが、このままではベッドが汚れる!(ここ重要)と危機感を抱き、すぐさま猛ダッシュ。
風呂場から洗面器を持ってきました。
間一髪で吐瀉物を受け取ることが出来、ようやく少し冷静に。
10分ほど吐き続ける父を横目に、電話機を手に取り、尋ねます。
「立てる?」
「無理や………あかん。ふらふらする。」
身体を起こしているのもやっとやっと。
吐くということは脳の問題が浮かんだので、「救急車かな?」と思い、主人に確かめました。
ゴーサインの後、電話。
片手に洗面器。
片手で受話器。
うーん。
もらいゲロしなかった自分を褒めてやりたい。
そこからはプロの仕事。
やってきた救急隊員さんはとても優しかった。
手際よく血圧を測り、(嘔吐直後で168-110あった)、こまめに声をかけ、数々の丁寧なチェックを行う。
救急車って揺れるんですよね。
私が吐きそうになりました。
無事、某総合病院へと辿り着き、脳の検査をするも異常なし。
結局は三時間弱の点滴を受け、帰宅後、様子見することに。
去年の二月にも同様な(嘔吐はない)ことがあったのだが、こりゃ大変だわ。
目眩は老人に多い症状の一つ。
特にうちの父は血圧が低いため、どうしても定期的に起こってしまう。(薬服用中)
血圧を上げる薬は少ないし、対処方法もわずか。
特に冬場は散歩にも行けないし、部屋でじっとしてることが多いので、運動不足による発症とも考えられる。
一年間飲んできた薬もここで改めなくてはならないな~。
効果が薄れているのは明白。
本人は喉元過ぎれば───な感じで、帰宅した後、のんびりテレビを観てたけど、「横になれ」といっても言うことを聞かない。←いつものこと
ただ最近は、自身の衰えをようやく認識し始めている為、介護者としてもホッとしております。
かといって、けして楽になるわけではないんですけどね。
今現在お世話になってる施設から、転所して欲しいとの打診があった。
ここ四ヶ月の間に四回の入退院。
理由のほとんどが、『誤嚥性肺炎』である。
その都度、たくさんの書類にサインをし、説明を受け、入院用具を準備する。なかなか面倒な仕事だ。
それを施設側もわかっているからこその提案だった。
義父の嚥下する力はそこまで弱ってはいない。
しかし逆流するとほとんどの確率で気管に入ってしまうため、食事の時、恐ろしく気を遣う。
介護士さんたちの時間と手間を倍以上必要とするわけで───ようするに面倒をみれなくなってきたのだ。
命尽きる直前(私たちは自宅看取りを希望としている)まで、お世話になると考えていた為、少々拍子抜けである。
現在、病院に入院中の義父。
包括支援のお姉さんの力を借りて、次の施設を探さなくてはならない。(病院が併設された施設)
四年前、たった一人で施設探しをした時はほぼ全滅だった為、イヤな思い出しか残っていないが、今回は彼女の力を借りられる上、代替案(病院内の介護病棟)に頼ることも出来る。
可能ならば、自宅から10分ほどの施設が見つかればいいな、と思っているけれど、そこは贅沢も言っていられないだろう。
現在、治療やリハビリのおかげもあって、比較的安定している義父。
かといって、気を許せば直ぐに肺炎を引き起こしかねない為、手厚い看護も必要としている。(食事時のベッドの角度や食べる速度。)
もう今は認知症に悩まされているわけでなく、寝たきりの老人をどうやって介護していくか───所謂、終末期の過ごし方を考えなくてはならないのだ。
シビアな話だが、葬儀なんかの段取りも視野に飛び込んできている。
今の施設はとてもよくしてくれた。
本当に感謝している。
けれど出来ることなら最期までお世話になりたかった。
言っても仕方ないことだけど。
なかなか安定しないものだなぁ……と、ここにきて改めて感じさせられた一日だった。
えー・・・ひとえに介護ブログと言いましても色々ありますが、
私の場合、主人のもの と違って主観的な意見と愚痴で構成される予定です。
私の介護スタイルが正しかろうと間違っていようと・・・
ただ、やるせない心情を吐露するだけのブログになると思いますので、
興味の無い方、批判的な意見を述べられる方はお越しにならないで下さい。
刺々しい物言いになっていますが、最近ちっとも余裕がありません。
その都度、どうしたらこのストレスが軽減されるか、そればかりを考えています。
今、私がどうにかなれば、主人が困るだけでしょうし、身体のメンテナンスはしなくちゃ・・・と思ってます。
今日も市で行われる乳がん検査があるんですけど、それよりも胃カメラ飲みたいくらい。(笑)
恐らく、この2,3日中に新たなブログを開設します。
何の救いもない内容となりますが、ご了承の上、お越し下さい。