11月19日(木)深夜2時半過ぎ
父が他界しました。
86歳でした。
本日初七日のお参りが終わり、なんとなく気が抜けたこともあって、
自分の心を整理するためにもブログを書いてみようと試みました。
とはいえ、何を書く必要があるのか。
よくわかりません。
今回何よりも感謝すべきは、主人と共に父を見送れたこと。
コロナ下では難しいと思われた最期のお別れが出来たことです。
深夜一時頃、病院から電話があり、私はそれを二度無視してしまいました。
普段ならどれだけ寝ていてもスマホを手にとるのですが、
何故か瞼が開かなくて、そのまま終話ボタンを押してしまっていたのです。
間を空けずして自宅に架かってきた為、さすがに受話器を取りました。
しかし何かしらの不具合でそれも切れてしまい、隣で目を覚ました主人にかけ直すよう言われました。
頭がぼんやりする中、折り返すと、父がいる病棟に直結し、看護師さんが現状を説明してくださいました。
つい二日ほど前、『酸素濃度もよく、持ち直しましたよ!』と明るい声でおっしゃっていたのに、
『酸素がうまく取り込めない状態で、あまり芳しくない』と告げられびっくり。
主人の進言通り、「今から会えますか?」と尋ねました。
数瞬の後、「こんな状況ですし、来てくださっていいですよ。」と返事が。
慌てて支度し、車に飛び乗りました。
家からおよそ20分はかかる病院です。
気は急きますが、事故だけは起こしてはいけない、と思い、安全運転で向かいました。
結局25分ほどかかり到着。
病院の正面玄関は閉まっていたので、電話で宿直室に開けてくれるよう頼みました。
およそ五分。
この時間すら惜しかった。
静まりかえった廊下を走り抜け、病棟に着くと、またしても自動扉が開きません。
インターホンで連絡し、ようやくエレベーターに。
待っていた看護師さんの案内で病室へ行くと、
父は酸素吸入されながらもやはり辛そうな呼吸を繰り返していました。
…………ああ、これはいつもとは違うな。
直感でそう思いましたが、もしかしたらまた復活するかもしれないという淡い期待がこみ上げてきます。
接続されたモニターでは、酸素濃度や心拍数が表示されていて、上がったり下がったりを頻繁に繰り返していました。
マスクを外し、父の手を握り、顔をのぞき込むと、目はぼんやり開いていて、
私を認識したのか、ほんの少しだけ力がこもりました。
けれど、私はもう、父が半分あの世へ旅立とうとしているのが分かりました。
しかしそれを引き留めるため、必死に呼びかけます。
私も主人も交互に手を握り、何かしらの奇跡を望んだのです。
病室に到着してから一時間と少し。
YouTubeで父の大好きだった石原裕次郎の音楽を耳元で聞かせ、汗を拭い、髪を撫で、何度も父の顔に寄り添いました。
時折辛そうに身を捩ると、看護師さんがやってきて、身体の位置を少し変えてくれたりします。
細くなった体、手足。
それを見て、少なからずショックを受け、こんな状態となっても生きていてくれることに感謝し、
私たちの到着を心待ちにしていてくれたのだと知り、涙が止まりませんでした。
主人がモニターを見ながら、数値を指します。
70を切る酸素量。
時間と共にそれは明らかに減っていきます。
彼の指摘通り、60を切る頃、父は深く大きな息を二、三度し、とうとうあの世へと旅立ってしまいました。
私は父の顔の間近で泣き続けました。
呼び続けました。
魂が抜ける瞬間を見ても、諦められませんでした。
やがて看護師さんとお医者様が到着し、父の心停止を告げられます。
それは旅立ってから5分ほど経った頃でした。
その後、お別れの時間を頂き、父の顔を何度も見つめ、ようやく納得しました。
私は父の43の時の子供です。
そして今私は、その時の父と同じ43歳です。
仕事で独立したばかりだった父は、どれだけ疲れていても毎日お風呂に入れてくれました。
その後も可愛がり方は尋常じゃなく、それを見て、母は逆に厳しくなったそうです。
この年齢から、子供を育てるのはさぞかし体力がいっただろうなと思います。
体の弱い母と娘の為、必死で働いてくれました。
家族の時間も大事にしてくれました。
優しくて、自分には厳しい父でした。
こんなにも別れが辛いとは思いもしませんでした。
15で亡くした母のときよりもずっと思い出は多く、一緒に過ごした時間が長いからかもしれません。
誰かが、「この年まで娘と過ごせるなんてあまりないことだから、幸せだったと思うよ」と言っていたらしいのですが、
そう思えば少しは救われます。
そしてその機会を与えてくれた主人、許容してくださった親戚の方たちには本当に感謝しています。
小さいながらも本当に素敵なお葬式を終え、涙の初七日を過ごし、最高の仕上がりの遺影を前にこれを書いています。
もちろん、出来の悪い娘でしたから後悔は山のようにあります。
後から湯水のように湧いてくるんです。
でもきっと後悔のない別れなんて、数少ないんでしょうね。
ミーコの時すらそうでしたし。
去年に続き、大事な家族を亡くし、疲労困憊ですが、考えることもやるべきこともたくさんあります。
せめて一周忌まではしっかりしていないと、お骨納めという大仕事も待っていますからね。
親に対し、優しくする時間は案外少ないものです。
亡くしてから気付くことが多すぎて、どうしようもなく不快な気分ですが、
今はこの孤独を何とか乗り越えようと、必死で足掻いています。
必要なのは多くの思い出と写真。
そして己の我が侭を少し堪えて、相手を思いやることなんだろうな。