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故郷の家

                  門口のハマユウ(浜木綿)
                   
                                             黒いアゲハチョウが木々の間を飛んでいた。

               
                クルミの切り株。

                
                クルミの葉。母の友人、仙台のTさんからの贈り物だ。
                
               バナナが奔放に増えている

               
                この木は何?
          

                 
                 この辺にはモクセイとアオキがあったと思う

              

今は埋立てた井戸の上の柿の木は、道路からも見える。私が小学生の夏、突然ある新聞社の人が入ってきて、写真を撮りたいという。弟がモデルになり「早く食べたいなあ」と少年は手を伸ばすという記事が掲載された。(それは事実ではない)あの頃は丈も低かったが、60年もたつと曲がりくねりつつこんなに大きくなった。今年もわずかながら実をつけている。









故郷・鹿児島の庭を見ると、桜、ざくろ、南京ハゼ、夾竹桃、木槿、百日紅、糸瓜などが、なんの掣肘も受けずに生い茂っている。記憶をたどれば黄金ひば、ダチュラ、モガシ、南天、犬琵琶、ススキ、ヤマゴボウ、クコの木、ビワや桃の木、栗の木、さらにさかのぼれば、戦後の食糧としてはトマトやナス、やがてキンセンカ、ケイトウ、撫子、矢車草、スイートピー、時計草、金魚草、カンナ、水仙、ガーベラなどがくわわった。30年前父が死んだ後は花はめっきり少なくなった。父はわざわざ持ち帰って庭に植えた草花を掃除の人に抜かれ、よく嘆いていた。そして開業医の父は待合室に、庭の草花を摘んで飾っていたことを、死ぬ前の年の歌で知った。

      患者待合室の花は日毎にわが替ふる
               とぼしき庭の花を見立てて

遺歌集(1990年 短歌新聞社刊)より













コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (桃すけ)
2016-09-01 17:24:58
お父様は歌を詠まれるのですね。そのDNAはあなたもきっとお持ちなんでしょうね。私はさっぱりダメですが。今も実家かあるなんて羨ましいわ。鳥取で3年ほど住んだ家は取り壊されて、小説「おはん」に出てくるようになっていて、妹たちと訪れたとき、ここの囲炉裏端で父にお話しをせがんだこと、兄と雪でキャンデーを作ったこと、小川に母と蕗つみにに行ったことがなどが思い出され、長いことたたずんでいました。「故郷の廃家」と題して文章にしたことがあります
 
 
 
Unknown (Bianca)
2016-09-02 08:24:19
桃すけ様
整理して更地にして売ろうかと相談中ですが頑強な守旧派もいて、困っています。鹿児島は第二の故郷ですが、私にとっては幻の第一の故郷が大事なので。思い出の故郷の方が美しいですものね。
 
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