「『勝ちいくさとは絶対に自己の敗北を認めぬ戦いをいう』とする、この当時の陸軍大学校長フォッシュを熱烈に支持したのが、陸軍総司令部第三局軍事作戦課のグランメゾン大佐であった。」
「この新流派はグランメゾン大佐を予言者と仰ぎ、1912年に参謀総長に任ぜられたジョッフル将軍を、推進役とみなした。将軍の権威を笠に着て、無制限攻撃を主張する連中がフランス軍機構を牛耳り、伝統ある原則を反古にし、 あの悪名高い『第17計画』を立案したのである。同計画は歴史的経験も、また常識も無視したうえで、兵力と場所との二重の計算違いを犯して立案されたものだった。」
「(中略)かりにこれほどのひどい誤謬を犯していなかったとしても、この『第17計画』は是認されず、むしろ根本的な誤りが露呈されたはずである。国境要塞地帯に立てこもっているドイツ軍主力に対して、劣勢の兵力をもって正面攻撃を仕掛けるような作戦、しかもその攻撃たるや、本来の伝統的な方法の利点のすべてを無視するようなこの作戦に対して、これまでの歴史はひとかけらの正当性も認めていないからである。」
(リデル・ハート『第一次世界大戦 上』第3章「両陣営の作戦計画」より抜粋)
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